島崎藤村の「破戒」解説2

島崎藤村の「破戒」解説1の続きです。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から岩永胖氏による“「破戒」成立の根本問題”島崎藤村が書いた「破戒」における問題点などについて解説した内容です。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

『この重大な言葉を、作品そのものの具体的な場において指摘することなく、後年の序文に求めた平野氏の態度こそは、作品よりもむしろその外側に、作品の意義を尋ねようとした傾向を示すものであって、作品論としては欠陥をもつものであるといわなくてはならないのである。更に、この場面は、

 「奈何だい、君、今の談話(はなし)はー瀬川君は最早悦皆(もうすっかり)自分で自分の秘密を自白したじゃないか」

 と文平が「丑松の為に言敗(いいまく)られた」ので、「軽蔑と憎悪」を以て、尋常一年の教師に「私語」いたように、丑松の秘密そのものは自ら暴露したことになっているのである。客観的に立場を明らかにすることによって暴露せられた秘密に対して、更に何の主観的「告白」を重ねる必要があろうか。すでに丑松にあっては、「予め金牌を胸にかける積もりで、教育事業などに従事して居る」者に対する教育労働者としての立場と、特殊部落民としての自覚とが結合されて闘いは始まっているのである。この闘いのの発展を求めてこそ、あやまりなき丑松の「告白」は確保せられたであろう。ここに「鬱勃とした精神」が「破戒」全篇にあって、ただ一度出現し、それが二十数年後の藤村によって再言せられた意義は重大である。
 ところが、作品「破戒」にあっては、口火を切られた闘いは闘いとして発展せしめられてはいない。猪子蓮太郎の悲壮な死が、先の条件へ附け加えられながら、丑松が最後に取った「告白」の行為は、はるかにこの「鬱勃とした精神」からは交代したものとなっている。その敵として闘った校長や勝野文平の前にすら丑松は跪いて、激した額を板敷の塵埃の中に埋めて、「許して下さい」と云わなければならなかった。それは全く個人的な罪悪を告白して、赦しを求める姿である、といってよいであろう。この急激なる変化は、何によるのであろうか。
 平野氏がいっているように、一般的には『鬱勃した精神』と『眼醒めたものの悲しみ』とは『破戒』の表裏をなすものであり、それは流産せざるを得なかった明治ブルジョア民主々義」の行方が規定しているのであり、「市民的自由を背う近代的自我の確立を北村透谷、田岡嶺雲の賤に沿いつつ模索した作品」と評価することが出来よう。そして又、部落民や小作人の運命を救済する現実的地盤を欠いたが故にこそ、奇妙な丑松の告白も、テキサス行の結末も説明されるであろう。それに関する平野氏の解剖はたしかに正しいものであった。しかし、問題は一度は教育労働者の闘いとして、「予め金牌を胸にかける積りで教育事業に従事」し、「教育は規則」「郡視学の命令は上官の命令」「軍隊風の教育」を信条として、町のボス等の振舞の席に「神主坊主」と同席する校長や文平等に対して、公然たる闘いを交えた「鬱勃とした精神」が突如として姿を消し、個人的罪悪の告白にも似た場面が忽然として現れて来ることには、その闘いに現実的地盤を欠いたとする一般的説明だけでは割り切れないものがあるのである。作家は、その転換に当って、何の矛盾も抵抗も感じ得なかったのであるか。私はこのような破綻をまでも「かえって彼らのリアリズムの一保証がみられる態のものでそれらはあった」といって平野氏のような曖昧なポーズで弁護する気持にはなれない。そこにはギリギリのところで必ず対決を回避しようとした意識的な屈折の方向が、作家の生活と結び合うものの中にあったに違いない。私はそれを明らかに知りたいと思うのである。
 余計な詠嘆やら、叙景によって朦朧とした混沌を拭い切れていないとはいえ、そこに見られる明らかな階級的な自覚に基いた闘いから、部落民たることの単なる「告白」への後退は何故に必要であったのか。「真実」の告白という自然主義のテーゼが、この混沌を精算する途として採用され、階級的な自覚と結合することによって得られた「破戒」の力そのものを根絶する方向へ反動的に作用していることも明瞭である。明治三十年代の混沌の中に、近代的な自覚への方向が労働者的階級的な「鬱勃とした精神」という姿で見出されているのだが、自然主義のテーゼはこれに導かれて文学の世界へ登場し、一旦はヘゲモニーを握り得た「鬱勃とした精神」そのものに背き去ることによって、近代文学のメーンカレントたり得たのではなかったか。「破戒」の内部構成の矛盾は労働者的な立場そのものの放棄を志向した作家の触手を思われる。私は作家の生活と作品とを結び合わせることによって、この後退の秘密を解きたいと思うのである。

   

 「特殊な人間群に内発する社会的抗議を芸術の言葉にまで晶化する」とは「破戒」に対する平野氏の評価である。だが、「特殊な人間群に内発する」ものが、果して「社会的抗議」に高まる純粋な過程としてこの作品は描かれているのだろうか。この疑問を裏返せば、この特殊な人間群に内発する不平不満が、社会的抗議として客観的に形成される過程こそ、「破戒」の芸術的形成過程であるべきなのであって、あらかじめ用意された社会的抗議があって、それが芸術的に粉飾されるのではないから、もし平野氏の言葉が真実であれば、その不満が純粋に高まる過程が描かれていなければならぬということだ。
 ところで、「破戒」における「特殊な人間群に内発するもの」は、貧民、労働者に内発するものとの間に、それを区別するどのような特殊性が認められているのであろうか。先にあげた文平との闘いにあっても無論のこと、職場でえの対立は、良心的な教員としての対立であるのか、部落民としての対立であるのか、混沌として区別されているわけではない。常に両者の立場が切り話すことの出来ない関係として、相互には混沌とした区別し難い関係でありながら、その対立者の前には結合して立ち現れているのである。「予め金牌を胸にかけるつもりで教育事業に従事する」ような、「開化した高尚な人」に対立するものは、そんな成功は夢にも見られないにしても、明らかに良心的な教員であり、例えば銀之助のような人であるべきであるにも拘らず、「野蛮な下等な人種」ー特殊部落民たる猪子蓮太郎でなければならないとする。ここでは闘う者の立場は明らかに、部落民と教員ー労働者的な立場とが結合されているのである。一方の立場だけでは、「開化した高尚な人」と闘う力にはならない。勿論、ここには労働者的な立場のヘゲモニーは必ずしも認められてはいないのである。』

ヘゲモニー・・・主導権、主導的位置の意。

島崎藤村の「破戒」解説3へ続く

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