島崎藤村の「破戒」解説3

島崎藤村の「破戒」解説2の続きです。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から岩永胖氏による“「破戒」成立の根本問題”島崎藤村が書いた「破戒」における問題点などについて解説した内容です。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。また、今回でこの解説も最後になります、おつき合い下さった皆様方、本当にありがとうございました!島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

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『しかし、ここに問題がある。すでにこれは「藤村みずからが人種的偏見に囚われていたことと相手が部落出の知的な青年であったことが、ぬきさしならぬ与件として存在しなければならなかった」ことが、「破戒」構築の前提として一応は平野氏によっても触れられているところである。しかし、人権的偏見に囚われている作者が人種的偏見に抗議するとは、どのようにして可能なのであろうか。たしかに藤村は人種的偏見の持主であり、「破戒」以後においても、人種的偏見の発生の基盤たる封建的身分制の残滓に連る家門の伝統に自負する人でもあった。(「夜明け前」その他に父島崎正樹や「家」の伝統を誇示した点を参照。)
 そして、いかにいいつくろうとしても、「破戒」における人種的偏見に対する作者の見解は、動揺する弱さを示しているのであって、それのみが純粋に客観的に社会的抗議の力に高まり得ているとは、みとめられ難いのではないだろうか。平野氏は

 天渓、天弦、孤島、郭濱生、夢蝶閑人、国男、秋江、あうたう、晶子、楠緒子らはすべて口をそろえて、主人公の苦悶が誇張された特殊な人種的偏見に根ざしたものゆえ共感しにくい、と難じたのである。

 として、これらの評家が「近代社会にあってはそれ自身で、「社会問題」的であるそのような存在に取材し、どんなにたどたどしい手探りであろうと、それを芸術のすがたにまでとらえることは、それ自身でひとつのたたかいを意味した筈である」との実情に着目し得なかったのだと非難している。しかし、部落民に取材したというだけなら、すでに秋声の「藪柑子」も、風葉の「寝白粉」も出ていたのであって、ただ「破戒」だけが特に取り上げられるに足るとは思えない。「破戒」が問題であるのは、作者藤村が人種的偏見の持主であったからでも、またそれが「部落出の知的な青年」であったからでも無論ない。ただ、知的な青年が労働者的な教員としての立場にあって、それが部落民としての立場と、それこそぬきさしならぬようにからみ合って現われているところにあるので、特殊部落民としての不満が、客観的な社会的抗議としての力をもち得ているのも、教員としての、民主々義的な闘いによって照され、支持され、その中に確固たる人間的自覚を築きあげて行くところに根ざすのである。
 特殊部落民としての丑松は、銀之助やお志保や、小学生達から、何故に支持され、それが校長や文平等に対立する力として形成される客観性をもつか。銀之助もお志保も小学生も、皆人種的偏見そのものから脱却したからではない。むしろそれに色濃く染められている人間でありながら、それと告白した丑松に何故に同情し、これを支持するか。それは丑松が教員として、同僚として、隣人として、最も人間的に、労働者的に民主々義的に行為したからであろう。この教員としての自覚に支えられて、丑松は特殊部落民たる差別待遇に社会的抗議の力をもち得ているのである。この点が見落されると、「破戒」の抗議性がわけのわからぬものになってくるのである。労働者としての教員の民主々義的自覚に支えられていたからこそ、部落民に対しては幼稚な認識しかもち得ない作家藤村が、その内発する不満を取り上げて社会的抗議の力にまで形象的に組織し得たのだ。ここに到って丑松の客観的な力の根源が、それをつくり上げる作家藤村の立場に発していることがわかる。混沌たる網膜を透しながら、丑松の眼を通じて、敬之進、校長、銀之助、文平、ーかつては蓮太郎を照らし出しているものの中に、はっきりと労働者的な教員の眼が民主々義的に光っているのである。部落民の眼はこの眼によって生命をあたえられているのであって、それ単独では照明の力をもっているとはいえない。
 それを何よりも明瞭に裏面から立証するのは、作者自体の部落民問題に対する見解の動揺である。
 「同じ人間でありながら、自分等ばかり其様に軽蔑される道理がない」とか、「道理のない非人扱い」という烈しい抗議を提出しているかと思えば、「部落民の中でも卑賤しい身分のもの」としたり、「屠手として使役われている壮丁は四十人許り、いずれ紛いの無い新平民ー殊に卑賤しい手合と見えて、特色のある皮膚の色が明白と目につく。一人一人の赭ら顔には烙印が押当ててあるといっても宜い。中には、下層の新平民にかくある愚鈍な目付を為ながら、此方を振返るもあり」とする丑松やその叔父の眼を透かしての観察は、「賤民だから取るに足らん、斯ういう無法な言草」はと如何に憤慨して書いていても、銀之助や文平が「新平民が美しい思想をもつとは思われない」とするのと同じ思想的基盤に立っているのである。更に

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 「新平民の子らしいのが、七つ八つを頭にして、何か「メンコ」の遊びでもして、その塀の外に群り集まっていた。中には頬の紅い、眼付きの愛らしい子もあって、普通の家の子供と少しも相違のないのがある。中には又、卑しい、愚鈍かしい、どう見ても日陰者の子らしいのがある」

 といったり、「斯うして無智と零落とを知らずに居る穢多町の空気を呼吸する」といったりするーここには、愚鈍、無智という素質的先天的なものと、零落という経済的なものとが区別されていることが明らかである。新平民なる特殊部落民の形成が経済的政治的なもので、愚鈍と無智とはそのためにもたらされた人為的歴史的なものとする近代的思想は、ここには現われていないのである。むしろ愚鈍と無智に零落が基因するという前代的な思想が「破戒」にあっては支配的なのではないか。
 だからこそ、藤村は主人公丑松の知性に対して「新平民の種族中でも殊に四十戸ばかりの一族の「お頭」と言われる家柄」の子であり、「獄卒と捕手とは維新前までの先祖代々の職務」であり、「東海道の沿岸に住む多くの部落民の種族のように、朝鮮人、支那人、露西亜人、または名も知らない島々から漂着したり、帰化したりした異邦人の末とは違い、その血統は古の武士の落人から伝わったもの、貧苦こそすれ、罪悪の為に穢れたような家族ではない」と言うことによって、道理のない侮辱に対する抗議の根拠としている。この根拠が新平民に対する偏見と同じように封建的身分制を基礎とするものであることはいうまでもなく、従って、その講義はその枠の外からする批判的近代性をもつものではなく、却って内部から身分的差別を強化し、偏見それ自身の支柱となっているものである。
 藤村には血統と家柄に対する抜きがたい封建的な信念があり、後年の「夜明け前」制作の情熱の一にもなっている程であるが、丑松の先祖を「武人の落人」としたことは、藤村自身の封建的偏見と立場とが溶かし込まれているのである。更に、この傾向は人間の地方的特色を執拗に追及する結果にもなっているが、「信州北部の人間」とか「信州北部の女」とか、「信州人ほど茶を嗜む手合いは少い」とか、特色でも何でもないことを意味ありげに挙げて、他の地方人との間に線を画くしようとしている。これは科学的な観察に基くもののように「千曲川のスケッチ」其他でいっているが、ここには郷土的偏見と狭隘な観察眼ー排他的な封建性とが結合しているのではないか。
 彼は家柄の人間を家柄のない人間から区別し、部落民を非部落民から区別する生理的要因を物理的観察によって求めながら、その反面に部落民の差別待遇や家柄や地方によって差別的に待遇される傾向に反発するー矛盾した二つの方向を以て「破戒」を築いているのではないか。こうした致命的欠陥をかくし持ちつつ、しかも「破戒」一篇がよく抗議の書たり得たのは、何によるのか。
 もしも「破戒」が部落民としての侮辱に堪え忍び、それを「告白」するというだけに主題が限定されていたならば、この作品の力強さはあり得なかったであろう。ところが、丑松が教員としての自覚と、その民主々義的な闘いに支えられ、更にそれが敬之進の生活を擁護する行為と結びつき、これらの闘いの行為を足許から縛ろうとする身分的封建的制約と対決する過程として、この特殊部落民としての自覚の過程が描かれることになっているために、藤村自体の部落民問題に関する滑稽な錯誤や偏見ー観察と分析の未成熟にもかかわらず、今日なおこの作品をして問題の書たらしめているのである。こうした「破戒」のもつ方向を推進することによってこそ、単に丑松ばかりでなく、藤村自体をその家門の矜持と血統的な苦悩のコンプレックスから救い上げる道ではなかったであろうか。「春」「家」ーそれから「新生」「夜明け前」への道は、「破戒」そのものの中で用意されたかくの如き道を放棄することによって、彼自らが好んで進んだ道だったのではないか。(未完)』

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