島崎藤村の「春」と「家」解説2

島崎藤村の「春」と「家」解説1の続きになります。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から藤井義明氏による“「春」と「家」”は島崎藤村が書いた「春」と「家」についての解説です。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

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『次に「破戒」と「春」との共通点であるが、これもまた重要なものであると思われる。「春」は「破戒」と相違する点があるといっても、藤村は「春」によってにわかに百八十度の回転をしたわけではない。「春」はまた「破戒」と多分に共通点があり、それが後の作品にも引きつがれていったのである。
 私はここで主な共通点として次の二点を挙げてみたいと思う。

 一、作中の主要人物が世の中の抑厭のために堪え難い苦悩を抱きつづけ、その苦悩が小説全体を覆っている。
 二、小説の最後の場面において、主要人物が度に出かけるところを描き、旅ということによって新しい生活を切り開こうとしている。

 第一に挙げた堪え難い苦悩とは、「破戒」においては、瀬川丑松という小学校教師が部落民出身であるがゆえに世間から冷たい眼で見られ、愛する女性に自分の気持も打ち明けられず苦しみつづけるというものであり、「春」においては岸本捨吉(藤村自身)とその友人たちが或いは恋に或いは思想に悩みつづけるというものである。こういった二作に共通する苦悩とは、言いかえれば理想の人生を求めようとする苦悩である。丑松は階級差別のない明るい人生を求めたであろうし、岸本捨吉その他の人々は真実の恋愛が成し遂げられる人生を、そしてもっと自由な人生を求めたであろう。殊に「春」は見ようによっては「破戒」よりももっと苦悩に覆われた小説である。「春」という題名の示すがごとくこの小説には明るい人生の春は描かれてはいない。人生の春を求める者がそれを得られずにもの憂い悲しい気持にとらえられるさまが描かれているのである。
 理想の人生を求めて得られない苦しみは詩人時代の藤村より引きつづいているもので、例えば「若菜集」に詠まれたいくつかの詩、「哀歌」「天馬」「草枕」などの作を見てもそれがあり、「一葉舟」のなかの「春やいずこに」「鷲の歌」などを見てもそれがある。藤村という作家は求め得られないと分っていても理想の人生を、求めようとし、苦しみにじっと堪えてゆくのである。すなわち諦めがない。無理想無解決という気持がない。「飯倉だより」の中に

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 初恋を思うべし
 
 という短い一節があるが、藤村の心はいつも人生の春を夢みているのである。そしてそれゆえの苦悩に堪えているのである。
 こういった藤村の心は浪漫主義と呼ばれ、これあるがためにこの作家は徹底した写実主義作家乃至は自然主義作家ではないといわれる。
 第二の共通点もまたなかなか重要なものと考えられる。「破戒」においては丑松が自己の身分を明かして村を去り、新しい世界を求めてアメリカに旅に出るところで終り、「春」においては岸本捨吉が恋愛に破れ、一家の経済的困難をも背負い切れず、東京を去って東北の地仙台に『ああ、自分のようなものでもどうかして生きたい。』と述懐しつつ旅する事によって新しい生活を求めようとするところで終っている。この「旅」によって新しい世界を切り開こうとする気持は事実藤村の一生を通じて見られることである。長野県神坂村の郷里を去って東京に出る旅からはじまって「春」に描かれている関西地方への旅、相模への死の旅、そして壮年期に至っては「新生」に描かれているフランスへの転身の旅など数えれば誠に多い。そして又、藤村は作品の至るところで「旅」ということを言っている。自分を一人の旅人であると見、人生そのものをさえ一つの旅と見ているのであろう。この「旅」という事にも一種の浪漫性を感ずるが、その源は芭蕉、西行というような古い時代の人にあると思われる。殊に芭蕉による影響は多いようである。
 
 近頃私は少年期から青年へ移る頃にかけて受けた感情が深い影響を人の一生に及ぼすということに、よく思い当る。丁度そうした心の柔い、感じ易い年頃に、私は芭蕉の書いたものを愛読した。
 その時に受けた感化が今だに私に続いて居る。

 これは「飯倉だより」の一節だが、これを見れば藤村が芭蕉に心酔したことがよく分るような気がする。更に「春を待ちつつ」には

 芭蕉の生涯は旅人の生涯であったばかりでなく、漂泊者の生涯であった。(中略)芭蕉の感情の優しさが私達の心を捉える。その感情のやさしさは処女の持つもののそれに比べたいとさえおもわるるほどである。

 藤村には自らをも芭蕉のごとき旅人であり漂泊者であるとの思いがあり、その思いは最後までつづいたのであろう。
 以上「破戒」と「春」との相違点と共通点とを挙げて、「春」が藤村文学の重要なポイントとなっていることを示し「春」の小説としての価値にもいささか触れたつもりである。』

島崎藤村の「春」と「家」解説3へ続く

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