島崎藤村の「春」と「家」解説3

島崎藤村の「春」と「家」解説2の続きになります。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から藤井義明氏による“「春」と「家」”は島崎藤村が書いた「春」と「家」について解説した内容となっております。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

『「家」は明治四十三年一月から五月まで読売新聞にその前篇が連載され、同四十四年一月と四月に「中央公論」に「犠牲」と題してその後篇が掲載せられ更に緑陰叢書第三篇として出版されたものである。この時の藤村は「春」を書いたところと同じ新片町に住んでいて、作家としていよいよその地歩を固めて行った頃である。
 前述のごとく「春」によってその文学の方向を定めた藤村は、その方向を「家」にのばしたのである。「春」によってさだめた実人生をありのままにじっと見つめてゆこうとする眼はいよいよその深さを増し、理想の人生を求めんとする苦悩の心はいよいよその度合を強めて行った。
 それならば、このような眼と心とは「家」においてどこに向けられたかといえば、それは「春」とは大分違ったものに向けられたといわねばならない。「春」は明治二十六年(藤村二十二歳)から明治二十八年までに藤村自身及びその友人の北村透谷、平田禿木、戸川秋骨、馬場孤蝶等によって行われた事実を扱ったものであり、「家」は明治三十二年(藤村二十八歳)から明治三十八年までに藤村の家族、その姉の嫁ぎ先の家族等によって行われた事実を扱ったものである。
 藤村の見つめる実人生は自分と関係のないものの人生ではなかった。「春」に描かれたものは藤村の青年時代の生活であり、「家」に描かれたものは藤村がようやく壮年期にならんとする頃の生活を中心としたものである。藤村はよく自伝小説作家といわれるが、たしかに自分の体験した人生をじっとよく凝視しつつそれを小説に書きあらわして行った作家である。

 ある著作が人生の好い記録であればその事が既に尊い。それが創作と言われるほどの域に達したものならば、更に尊い。(春を待ちつつ)

 この藤村の言葉は大いに参考とすべき言葉である。藤村は人生記録というものをきわめて尊いものと考え、自分の人生がたえどのように失敗の人生に思えてもまた艱難の人生に思えても、それをじっと見つめ記録していくことがこの上ない価値のあるものであると信じていたに違いない。
 自分の実人生を見つめる眼と心は、殊に深く印象に残っている事実に強く向けられて行った。「春」に扱われた事実は、過ぎし年自分が恋に苦しんだ揚句家出し、漂泊し、死を選ばんとし、兄の入獄を経験し、家の破産、母の死に出会った事実であり、また北村透谷等の友人の青春の悶えを眼のあたり見たという事実である。これらの事実はまったく忘れようとしても忘れることの出来なかったものであろう。そしてこの事実は程よく整理せられ、小説として具象化されたのである。「家」に扱われた事実もまたそうである。十年ほど前、自分が結婚したが妻に恋人があったため懊悩し、自分にもまた女性が出来、そうしているうちに三人の子供が生まれ、またその子供が相次いで死し、自分はまた教師の職を去って作家生活にはいって困窮した頃の事実であり、また姉の嫁家において姉が次第に脳をおかされ、その子供が更に病気のために不幸になっていくさまを眼のあたりに見たという事実である。
 「家」に扱われた事実は「春」よりは更に複雑である。藤村はこれを巧みに整えて作品に表現して行ったのである。「春」は時の流れに従って描かれた一幅の絵巻物のように思われるが、「家」に扱われた事実はそうい行った調子には表現されていない。

 家を書いた時に、私は文章で建築でもするようにあの長い小説を作ることを心がけた。それには屋外で起った事を一切ぬきにしてすべてを屋内にのみ限ろうとした。台所から書き玄関から書き、庭から書きして見た。川の音の聞える部屋まで行って、はじめてその川のことを書いて見た。そんな風にして「家」をうち建てようとした。なにしろ上下二巻にわたって二十年からの長い「家」の歴史をそういう筆法で押し通すということは容易ではなかった。
 (市井にありて)

 後になって藤村はこう語っているのが、たしかに「家」は文章で建築するように書かれている。そしてその人物の扱いにも「春」以上のに多くの苦心が見られる。
 自分の家は小泉家として描かれた。そして姉の嫁家は橋本家として描かれ、更に妻の実家は名倉家として描かれた。この三つの家の配置と構成はなかなか手際よく出来ている。たとえば小泉三吉(藤村自身)の家の場面から急に橋本の姉の保養先伊豆の伊東の場面に移るとき、場面が家というものから離れてしまうのではないかと気をもませるが、ちゃんとまた橋本の姉は小泉の家に戻ってきて再び小泉の家の場面となる。』

島崎藤村の「春」と「家」解説4へ続く

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