島崎藤村の「春」と「家」解説4

島崎藤村の「春」と「家」解説3の続きになります。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から藤井義明氏による“「春」と「家」”は島崎藤村が書いた「春」と「家」について解説した内容となっておりますが、今回でこのコラムも最後になります。最後までおつき合い下さった方、ありがとうございました。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

『「春」において定まった藤村の眼と心は「家」の扱った題材にただ相対しているだけではなかった。眼はどこまでも深く人物の性格や血統や家の因襲や組織などを見きわめようとし、心は理想の人生を求めつつ人物が家というもののために苛まされるさまを知ろうとしている。

 「三吉、貴様は……何か俺の遣方(やりかた)が悪くて、それで、家が斯うなったと言うのか……何か……」
 お種は尖った神経に触られたような様子して、むっくと実を起した。電燈の光を浴びながら、激しく震えた。これ程女の操を立て通した自分に、何処に非難がある、と彼女の鋭い眼付が言ったどうかすると、弟まで彼女の敵に見えるかのように。
 
 夫のために不幸な救い難い淵に沈んでゆくお種に、彼女の住む橋本の家に、藤村の眼と心は激しく執拗に注がれたさまがこの一節によく書きあらわされている。橋本の家は深い暗さにつつまれている。小泉の家もまたそうである。そして名倉の家も決して明るくはない。そのためにこれらの家を描く小説「家」は全てが暗さに覆われている。

 すこしとろとろしたかと思うと、また二人とも眼が覚めた。
 「お雪、何時だろうーそろそろ夜が明けやしないかー今頃は、正太さんの死体が盛んに燃えて居るかも知れない。」
 斯う言いながら、三吉は雨戸を一枚ばかり開けて見た。正太の死体が名古屋の病院から火葬場の方へ送られるのも、その夜のうちと想像された。屋外はまだ暗かった。
 
 これはこの小説の最後の箇所であるが、暗さは最後までつづき「暗かった」という言葉によって終わっていて、益々その印象を強くする。
 この暗さは「日本の家」のもつ因襲と家族制度による暗さであろう、がまたこの小説を書いた藤村の心の暗さでもあろう。結婚によって新たなる幸福を求めようとすれば、妻に恋人がある事が分り、自分にも妻以外の女性が出来て家庭が破局に瀕し、三人の子供のよき父たらんとすれば、その子供たちは次々とこの世を去り、家庭を安住の場所となし得られなかった壮年期の藤村の心はさぞや暗かったろうと思われる。

 「旅」ということが藤村文学において重要なものであるということは「家」を見ても分ることである。

 「俺の家は旅舎だーお前は旅舎の内儀さんだ。」
 「では貴方は何ですか。」
 「俺か。俺はお前に食物を拵えて貰ったり、着物を洗濯して貰ったりする旅の客サ」
 「そんなことを言われると心細い。」
 「しかし、斯うして三度々々御飯を頂いてるかと思うと、有り難いような気もするネ。」

 これは三吉夫婦の会話であり、家という固定したものを藤村は旅の宿と見て、何かそこに救いを求めようとしている。
 
 旅で馴染を重ねた人々にも別れを告げて、伊豆の海岸を離れて行くお種は、来た時と比べると、全く別人のようであった。海から見た陸の連続(つらなり)、荷積の為に寄って行く港々ーすべて一年前の船旅の光景を逆に巻返すかのようで、達雄に別れた時の悲しい心地が浮んで来た。

 これは橋本家のお種が木曾の家を離れ小泉三吉の家に寄って伊豆の伊東に静養に行き、ふたたび家に帰る一節であるが、家と家との場面をつなげるのに「旅」というものをもってきている。橋本家、小泉家、名倉家この三つの家をそこに住む人物の旅というものによってつなげているのである。
 「家」の稿が出来上った頃、藤村は妻冬子を失った。冬子は「家」のお雪である。「家」はお雪の登場することによって他の人物の描写に大きな効果を与え、かつ小泉家名倉家のありさまが生き生きとしてきている。このお雪である冬子を失ったことは藤村にとってこの上ない痛苦であったろう。こうして四十にして妻を失った藤村は次の長篇「新生」に描かれた姪との危機に遭遇する。』

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