島崎藤村の「新生」解説3

島崎藤村の「新生」解説2の続きです。東京堂から1961年に出版された「明治大正文学研究 特集 島崎藤村研究」から井上豊氏による“「新生」の問題”は島崎藤村が書いた「新生」についての解説です。以下、『』内の文章は左記の論文からの引用となります。また、掲載にあたって、全て現代語訳しております。今回は、有名な藤村の「新生」に対する芥川の評価、それに対する藤村の返答に焦点を当てた回となっております。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

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『なお「新生」に関しては、芥川龍之介の「或る阿呆の一生」に、「殊に『新生』に至ってはー彼は『新生』の主人公ほど老獪な偽善者に出逢ったことはなかった、」とあり、「新生」は藤村の「新生」をさしたものとされ、藤村自身も、自分の新生をさしたものらしい、として自己弁護を試みている、(「市井において」。)こうして藤村について老獪とか偽善とかいうレッテルがはられ、近くは正宗白鳥なども、

 私は「新生」における藤村の悩みや態度について感銘が深いが、今度読返して見て、この小説の甚だ不愉快であることも感じた。「新生の主人公ほど老獪な偽善者はない」と芥川が言ったのは有名である。(自然主義盛衰史)。

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 と述べている。しかし芥川は右の言葉に前後してストリンドベルクやルソー、ヴィヨンのことなどにも言及していて、藤村の「新生」ではしっくりしないし、ダンテの「新生」をさしたともとれる。ダンテについては「神曲」にたいする白鳥の冷評にも賛意を表している。が、「侏儒の言葉」でも「新生」にふれ、「新生」読後と題して、「果して『新生』はあったであろうか?」と反問し、その前に懺悔について懐疑的な言葉を述べている。ダンテの「新生」は懺悔とはいえないから、やはりどちらも藤村の「新生」をさしたことになるのであろう。ただし芥川が「新生」の偽善を問題にしたのは、ダンテやストリンドベルク、ルソー、トルストイ、等の偽善をも問題とせずにはおかぬような懐疑的な神経からきていることも考えなくてはならない。芥川はひどく藤村嫌いだったらしく、それには出生の秘密もからんでいるという。肌合の相違もあるが、芥川の死に女人問題がからんでいることも、「新生」にたいする冷語を理解するうえに役立つと思う。
 藤村は芥川の反問をよみ、「市井にありて」の中で、「芥川君は懺悔とか告白とかに重きをおいてあの『新生』を読んだようであるが、私としては懺悔ということにそれほど重きを置いてあの作を書いたのではない。人間生活の真実がいくらも私達の言葉で尽せるものでもなく、又書きあらわせるものでもないことに心を潜めた上での人で、なお且つ私の書いたものが嘘だと言われるならば、私は進んでどんな非難に当りもしようが、もともと私は自分を偽るほどの余裕があってあの『新生』を書いたものでもない。当時私は心に激することがあってああいう作を書いたものの、私達の時代に濃いデカダンスをめがけて鶴嘴を打ち込んでみるつもりであった。荒れすさんだ自分等の心を掘り起こしてみたら、生きながらの地獄からそのままあんな世界に活き返る日も来たと言って見たいつもりであった」といっているが、懺悔や告白に重きをおかぬといい、自分を偽るほどの余裕はなかったといっているあたり、曲筆があるようであるが、
 「私達の時代に濃いデカダンスをめがけて云々」とある言葉も注意しなければならない。従来(註二)の「新生」論はあまりこの点を重視していないようであるが、序章をよめばこうした意図がかなり強くはたらいていたことがしられる。これのみがモチーフであったとはいえないが、有力なモチーフの一つといってよい。ただ作中では愛欲問題と告白が中心をなしているようにあつかわれているので、右のような意図ははっきりでていない。とにかく「新生」は愛欲上の過失からの新生のみを意味せず、より一般的な意味をもたせようとしたものであった。すなわち新理想主義的な精神傾向と歩調を合せたところがある。ただし自然主義的な自己告白の傾向と理想主義的な傾向とが充分にとけあわされず、作品化において未熟さがめだつのである。

 註二。瀬沼茂樹著「島崎藤村」にも「新生」についてたちいった考察があるが、この問題についてはやはり自己告白に重点をおき、「自己告白は藤村にとって自己解放であり自己救済であった。あらゆる意味において自己解放自己救済であった、」と説いている、しかし下巻における態度の変化についても注意している。』

島崎藤村の「新生」解説4へ続く

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