島崎藤村の主要作品における解説2

島崎藤村の主要作品における解説1の続きです。1957年に河出書房新社より出版された「日本国民文学全集 第二六巻 藤村名作集」より瀬沼茂樹先生の解説を中略を多く挟んだ上で下記の『』内にて引用及び現代語訳しております。この解説は島崎藤村の主要作品を時系列に沿って解説した内容となっており、島崎藤村の興味や思考を理解する上で大きく助けとなります。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

 『藤村が詩から小説へ出ていったのは明治三○年代の七ヵ年にわたる小諸義塾における教師生活の間である。『千曲川のスケッチ』をはじめ、「千曲河畔の物語」と呼ばれた『緑葉集』におさめられる一連の短編小説や、その一環としての長篇小説『破戒』などは、それの文学上の成果であった。大体、小説家としての藤村の出発は明治三五年一一月に同時に発表された『旧主人』と『藁草履』との「双児」で、これ以前の『うたたね』その他の習作は考慮にいれなくても差支えあるまい。詩人の内面の「抒情」が小説家の「写生」の実証によって媒介されて定着したのが藤村の小説の発足となったのは当然であるが、その出発が信州小諸地方の地方色・郷土色をもち、風土民情を基礎としていることを改めて評価してみる必要がある。~中略~
 藤村の追及は自己の生活する地方生活の本質を究めようとするきわめて生真面目な研究心、真理を求める謙虚な心に発するものであったといってよい。それは、日本の一般社会のなかに国民生活のありかたをとりだしていく、基本的な行きかたであったのである。もともと地方出身の藤村にとって、地方生活は自分の生活の熟知した根拠ともいうべきものであったからである。
 『破戒』は自然や習俗の細密描写においては『千曲川のスケッチ』や『緑葉集』の諸短篇において習熟したものの集大成である。短篇小説や紀行随想などで、思念においても、描写においても、習熟したものを長篇小説に組織する。長篇小説においてこころみ、なおモチーフを残すものを短篇小説において遂行するという作品の累積法は、その後も、藤村の好んで行ったところで、そこに藤村文学の強靱な構想性と見事な彫塑性とが生じる独特のやりかたがあったが、『破戒』は、「千曲河畔の物語」の集大成として、このようなやり方の最初の収穫である。~中略~
 
 『破戒』の主人公の身分である部落民という限定は、本来からいえば、あるはずのない封建時代の階級制度の遺物にすぎない、それが明治社会にはなお習俗や人情として不合理な差別待遇を残していること、そういう封建的差別に理由無く苦しめられなければならない人たちの現にある国民生活に着目し、これに臆せずに正面から取りくんでいったところに、『破戒』の革新的な意義が当時としてあった。
 しかし、『破戒』は一篇の単純な社会小説ではない。~中略~藤村が社会小説としてこれを『破戒』に試みたとすれば、藤村自身まだ時代に制約されて封建的偏見から完全に脱却していなかったような弱点が多々あることは否認できない。だが、ここに作者の意図したところは、人間性の自然と古い秩序の拘束との間の格闘を、主人公の内面の劇として、主人公の魂の内面に投入したdrame intimeに描いていくことであった。~中略~
 とにかく、『破戒』は、近代日本文学にとって、若干の弱点をもっているにしても、地方生活を平凡な庶民の間からとらえ、そこに一つの日本人の生活のありかたを展示した国民的な国民文学であったことにはまちがいないのである。そこには、藤村が漱石と同じく庄屋出身でありながら、後の自伝文学において繰り返し書いたような地方の旦那衆としての「矜持と欲望」に関係するところがあるし、また次には藤村が丑松において描いたような内向的性格をみずからにもっていたことにも関係するのである。~中略~
 藤村にとって自伝的文学でありながら、一時代の若い世代の生活に即した青年の理想や芸術や青春の普遍化したものとみていくならば、日本および日本人の生活と意見を代表する立派な国民文学であったことがいわれるし、またそのようなものとして存在したのである。~中略~』

島崎藤村の主要作品における解説3へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です