島崎藤村の主要作品における解説3

島崎藤村の主要作品における解説2の続きです。1957年に河出書房新社より出版された「日本国民文学全集 第二六巻 藤村名作集」より瀬沼茂樹先生の解説を中略を多く挟んだ上で下記の『』内にて引用及び現代語訳しております。この解説は島崎藤村の主要作品を時系列に沿って解説した内容となっており、島崎藤村の興味や思考を理解する上で大きく助けとなります。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

『藤村は木曾山間の名もない小さな村の、十数代もつづいた旧家の出身であった。みずから「父とその時代」を描いたという最大の長篇小説『夜明け前』は、この木曾山中の小村馬籠を、歴史の転回点におしあげたように、藤村はその文名とともに、ここを一種の知名な場所にした。~中略~
 藤村は一○歳の時に上京、木曾福島の薬種問屋に嫁した姉の家が東京にあったので、そこにひきとられ、他人の飯を食って成人していった。もし木曾山中にとどまっていたならば、藤村自身も、また馬籠という場所も、今日のように広く世間に知られることなくして終わったであろうから、一○歳の時の上京は藤村の文学者への第一歩をひらく重要な出発であったと見なされる。
 ところで、島崎家の血統は『夜明け前』では省略されているが、『家』や『新生』をみれば、日本の古い家にしばしば見られる血の頽廃が濃度に現れているし、そこに家族制度特有の家族的エゴイズムも典型的に汲みとることができる。これが藤村文学の素因を考えるときに考えられなければならぬ第一のものである。しかし、その反面、『夜明け前』に理想化された父正樹の国事を思う正義感が庶民的な根拠から成立していることを見逃すわけにはいかない。これが第二の素因で、それは、藤村の母の里、馬籠の島崎家をついだ正樹の次男広助が、『家』などによると、木曾の「山林事件」ー木曾の五木を初めとする伐採の禁止が維新後、従来立入伐採の許されていた地域までを官有林に編入、山林に衣食する木曾の民の生計を奪ったことから、これを解放する運動がつづいたーに関係したことにも現れている。~中略~
 こういう意味での父祖の血が藤村のうちにも脈うっており、自己および自己の周囲の生活を見廻しても、そこから庶民の立場に立って国民生活の有り様を汲みとる方向に出ていった、そこに藤村が日本および日本人の生活を、真の意味で、国民的に表現する国民文学者となりえたのだと考えざるをえない。

 藤村は、『春』から後は、最後まで自伝的作家として大成していった。自己と家族とをくりかえし見つめることによって、そこまら自己の生命の根源をみるとともに、島崎家の系譜をたどるのであり、日本人の血と家を典型的に把握していくのであった。~中略~
 長篇小説『家』にからまる旧い家の重荷が主人公捨吉の上に暗い影を投げているし、また捨吉の、否、藤村の漂泊自体が、この家の血統的なもの、遺伝と本能に関係し、兄に「捨吉も年頃だ。そろそろ阿爺(おやじ)が出て来たんじゃないか」という血の怖れが描かれている。しかも『春』を書いている間に、作者の身辺にはその怖れが単なる怖れにとどまらない、実生活上の苦労や破綻となって渦巻いていたことを、わたしたちは知って居いる。(『家』参照)
 もしそうだとすれば、藤村が後に『幼き日』に書いたように、詩の『初恋』にはじまる暗い生の狂熱の自覚とこれにたいする警戒から即ち第一の素因から、一種の慎重な生きかたが発明工夫されていくのは当然なこととして納得される。後の『桜の実の熟する時』は明治学院の学生時代における自己の実例で、反省であり、明治女学校の教師時代もまたその継続である。これらは、藤村が実に悲壮な決意をもって意志的な努力を重ねて自己の人間形成につとめている姿であって、倫理的人間としての風貌が或る人たちのいうように、他人を欺く老獪な偽善などではなかったことを証している。~中略~』

島崎藤村の主要作品における解説4へ続く

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