島崎藤村の主要作品における解説6

島崎藤村の主要作品における解説5の続きです。1957年に河出書房新社より出版された「日本国民文学全集 第二六巻 藤村名作集」より瀬沼茂樹先生の解説を中略を多く挟んだ上で下記の『』内にて引用及び現代語訳しております。この解説は島崎藤村の主要作品を時系列に沿って解説した内容となっており、島崎藤村の興味や思考を理解する上で大きく助けとなります。また、このコラムも今回で最後になります。おつき合い下さった皆様、ありがとうございました。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

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『『桜の実の熟する時』の初稿『桜の実』は雑誌に二月連載した後に中絶、フランスの旅において改めて初めから書き直して、翌大正三年から四年にかけて五章までを書き、第一次世界大戦に出会ってふたたび中絶した。第六章以下を書きつづけたのは東京に帰ってからで、その完成は『新生』の発表と重っている。だから、『桜の実の熟する時』が『春』の序曲で、明治二三年、作者一九歳の初夏から二五年、二一歳の年末におよぶ、まさに『春』がその後を承けてすぐはじまるような自伝的小説でありながら『春』よりさらに一○年近く遅れて、『春』に先だつ時代を描いたことになる。そこで「桜の実」という題意が「お伽話の情調」をもった遠い昔の「若い日の幸福のしるし」を意味し、またそういう感慨をよせながら、現実に藤村の陥っていた泥沼、地獄のような体験の匂いを気のせいか漂わし、今日の青年のために自己の少年から青年へ移る時期をうつしながら、青春の優愁にとかく五○歳近い作者の暗い精神のかげりをみせている。
 『桜の実の熟する時』は、題材からいえば、明治学院時代の後期、青春の感覚的な喜びに浮き浮きとしていた前期からめざめて、青春特有の哀愁のうちに自我を検討しはじめる後期にはじまり、明治女学校に教鞭をとり、恋愛と人生との意義に苦しむところから、漂泊の旅に出たときに終るのである。だから、ここでは岸本捨吉が一生の仕事として文学を志そうとしながら、文学をもって立つことの困難と周囲の無理解、そういう中で、先導者青木駿一との邂逅、また愛人勝子との邂逅、キリスト教への入信と離脱ー要するに明治の青年としての捨吉がめぐりあった、しかも『春』を形づくるすべての要因が、それなりに「若い日の幸福」の内容として描かれている。それは、本来、作者もいうように、甘美な「お伽噺の情調」があってもよいはずの主題で、作者としては「早春」の思い出も濃かったにちがいない。しかし、実は、捨吉が「いかけやの天秤棒」とか「当世流の才子」とかみられていたところから、むしろ「仙人」といわれるような一種の「憂鬱症」にしずんでいるところに、つまり青春の可能性を肉体の要求するままに全身を官能の誘惑にひたすことからめざめて、それが内にある生命を窒息させるような生の頽廃にほかならぬことに気づいて、逆に自己の青春にきびしい枷をはめようとしている時が中心になった。青春が人生の最も大きな危機の一つであることをまざまざと自覚したときに、若い藤村が誘惑にともすれば、足をとられそうになりながら、精神の成長の方へ抜けだそうと、苦しみあがいていた有様を検討したのである。それは、まさに、中年になって自己の危機を、人生の初めの危機に重ねあわせて見ていることであったろう。自己の生命の根源をためつすがめつしながら、青春にめばえたさまざまな芽がー圧えようとして、それに成功したと信じていた芽までもが、急に突如として成長して、自己の存在を根本からゆさぶっていることに気づいて、嘆息とも感慨ともなったにちがいあるまい。
 しかし、『桜の実の熟する時』は『春』と比較するならば、その潑剌とした青春の甘美さに乏しいとはいえ、底の底まで溺れきろうとする青春の惑乱がさすがに整理されていて、『春』にみられるような曖昧と晦渋が少く、青春の危機を描きながら、そのウエイトがあるべきように客観的に顧慮されているところなど、やはり体験豊かな成熟した作家の筆になることをしめしている。最後に捨吉が家を捨て、漂泊の旅にのぼるところを、「まだ自分は踏出したばかりだ」という感銘深いことばで結んでいる。『春』や『家』の末尾に対応する藤村らしい余韻のこもった結語であるが、そういうものとして永久に失われた若々しい生命の泉が、その出発点において計量されていたわけである。それは、人間の自己形成の物語として、作者が自己の生活を全的に生きようとした、生に誠実な姿をみせている。
 わたしたちは、『桜の実の熟する時』がすでに悲劇時代の日本の青年の物語であることを知っている。青年の青春の危機が、明治二○年代に現れた「悲劇時代」に即応して、それとしてあらわに書かれていなくても、人間存在の根源を社会的に深くさぐれば、そこにとどくような意味を、それ自身として孕むものだったのである。藤村は自己の存在を深くさぐって、国民生活の根に達したし、その意味では、『桜の実の熟する時』の方が『春』よりも奥深く、それを代表するような位置を占めている。これは、一方において平凡な日本の青年の青春物語であるとともに、そのように日本人の日常生活に即して、これを典型的に組織した国民文学であったのである。かならずしも快適とはいわれない藤村の青春小説が、好んで若い読者にも読まれる所以は、それが普遍的な人間形成を軸としているからであるばかりでなく、この平均した国民生活の実相にふれて、国民の生命の源泉に通じているからである。

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 『桜の実の熟する時』を完成したときは、すでに述べたように『新生』に着手しているときであった。藤村の晩年に襲いかかった危機は、いままで隠している秘密、姪との不倫を告白するという大胆な企図によって、一挙に打開しようとしているときであった。『新生』における告白が、藤村の危機を思いもかけず、瞬時に解決した後においては、静かな晩年における成熟した文学的事業が待っていた。『夜明け前』『東方の門』がこれで、その簡単な意義はすでに述べた。
 いまここまできて、本書の性質上、長篇小説についてのみ語ってきたが、『破戒』『春』『桜の実の熟する時』『新生』『夜明け前』『東方の門』七大長篇小説が藤村の文学的事業として、どの一篇をもないがしろにすることのできない、質量ともに第一級の仕事であったことを、改めて解雇してみないわけにはいくまい。しかも藤村の仕事からいえば、長篇小説はその文学のピークをなしているので、その前後左右に、短編小説、童話・感想・紀行など、藤村としては長篇小説に劣らず重要な意義をもつ作品群をひかえていた。それは、作者とその身辺に終始する限定された、したがって狭い題材にみえながら、自己の生命の根源をさぐり、自己の存在の根底をきわめて、自己のなかに普遍的な平凡な一日本人の生涯と思想とをさぐって、これを定着することに成功した、その重量感に、改めて思いをひそめなければなるまい。或る意味で陰惨な、何の楽しみもなさそうにみえる藤村の自伝小説が、今日、他の自然主義作家の作品を圧倒して、ひとり広く多くの国民の間に愛読せられる国民文学たる所以はこんなところにもひそんでいる。』

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