井上靖による島崎藤村の解説2

井上靖による島崎藤村の解説1からの続きになります。中央公論社から1964年に出版された「日本の文学6 島崎藤村」から井上靖氏による島崎藤村の解説は、当時の藤村の偉業について明瞭に説明しており大変解りやすいのが特徴です。以下、『』内の文章は左記の解説からの引用となります。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

「若菜集」ほか

 藤村の第一詩集「若菜集」は明治三十年八月春陽堂から出版された。二十六歳の時である。前年九月に藤村は東北学院の作文教師として仙台に赴任し、「若菜集」出版の年の七月、一ヵ年足らずの仙台生活を打ちきって帰京しているが、この詩集に収めらえている詩篇はいずれも仙台の生活において生まれたもので、「文学界」に発表したものである。「文学界」は北村透谷(とうこく)、平田禿木(とうぼく)、戸川秋骨(しゅうこつ)、馬場孤蝶(こちょう)等が創刊したもので、藤村も関係しており、日本ロマン主義文学運動の母胎となった雑誌である。後年、藤村は次のように仙台時代を回顧している。
 「明治二十九年の秋、私は仙台へ行った。あの東北の古い静かな都会で私は一年ばかりを送った。私の生涯はそこへ行って初めて夜が明けたような気がした。私は仙台の客舎で書いた詩稿を毎月東京へ送って、その以前から友人同志で出していた雑誌『文学界』に載せた。それを集めて公(おおやけ)にしたのが私の第一の集だ。
 『若菜集』は私の文学生涯に取っての処女作とも言うべきものだ。そのころの詩歌の領分は非常に狭い不自由なもので、自分等の思うような詩歌はまだまだ遠い先の方に待っているような気がしたが、ともかくも先蹤(せんしょう)を離れよう、詩歌というものをもっともっと自分等の心に近づけようと試み、黙し勝ちな私の口唇はほどけて来た」(大正元年の改訂版「藤村詩集」の序より)
 この藤村の回想は静かに虔(つつま)しく綴られているが、おそらく「若菜集」を出した当時の心境はこのように語らるべきものであったに違いない。藤村が時代の先達たる新しい詩人としての自覚を持ったのは、おそらく「若菜集」一巻の大きな成功をみたあとのことで、翌三十一年には第二詩文集「一葉舟」、第三詩集「夏草」を相次いで出版し、三十四年には第四詩文集「落梅集」を世に送っている。そして三十七年には藤村は上記の四詩集の合本を「藤村詩集」と題して春陽堂から刊行しているが、その詩集に新しく序をつけている。
 「遂に、新しき詩歌の時は来りぬ。
  そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の予言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばばり、いづれも明光と新声と空想とに酔へるがごとくなりき。」
 こうした高い調子で始まる文章は、まことに「藤村詩集」の第一頁を飾るにふさわしいものであった。「若菜集」を出してから七年の間に己がものとした栄光と、新詩人としtねお自覚と矜持とが行間から立ち上っている感じである。これは新しい詩人群を代表しての藤村の若々しい宣言でもあり、凱歌でもあり、古い時代への袂別の言葉でもあり、また新しい詩に関する誇りやかな解説でもあった。
 「若菜集」を初めとする四冊の詩集に収められた藤村の詩業が、いかに日本文学史の上に高い位置を占めるかはここに改めて述べるまでもあるまい。藤村の詩集はその大部分が若い女性の恋愛感情を取り扱ったものであるが、それまで心底深く秘めておくべきものとされていた青春の感情は、藤村によって初めて大胆にあらわに脈動するものとして捉えられたのである。藤村が序の最初に宣したようにまさに「若菜集」一巻によって近代詩の夜明けはやって来たのである。
 
 「若菜集」が時代に果たした最も大きい役割は、誰もが指摘しているとおり感情の解放であった。そして、新しい酒は新しい瓶に盛られねばならなかった。と言って、藤村は従来にないまったく新しい詩型を採用したわけではなかった。新体詩の詩型をそのまま踏襲して、それをまったく新しいものとして生まれ替らせたのである。これを為しとげさせたものは詩人藤村の天分である。
 藤村の詩を読む読者のために、藤村の詩が持つ生命がいかなるものであるか、それを最も正しく説いたものとして、佐藤春夫氏は河井酔茗(すいめい)氏の次の一文を挙げているが、私もまたこれ以上の藤村の詩に対するよき理解はないと思う。
 「藤村は青春の情熱をじっと抑えつけて、感情の浪費と消耗とを避け情感を整調してうたの言葉に現わそうとした。現わす場合に激しい憤りや怨みやを一切底に沈めて潔らかな流れのようにして現わした。一つの水のうねえりの底からの動きが現れたものであった。で、言葉には根があった。生命があった。今まで多くの人々に根もなく生命もなく使われていた言葉にも新しい生命の呼吸が通う魅力が生じて来る。一語一語切り離してしまえば格別異った言葉でもなく、ただその言葉だけのものが、その言葉が一句つづけられ二句つづけられ、一節となって格調をととのえて来ると、実に潑剌たる感興が盛り上って来る。この手法の新しさこそ藤村の持つ大きな強みであって、何人にも共通する直感力の把握である」(河井酔茗「酔茗詩話」所収の「藤村の前と後と」より)
 藤村の詩の持つ生命は、まさしくこのようにして生まれて来るものに違いないと思う。そして新体詩という詩型は、藤村によって、まったく新しい詩の生命を盛る函(はこ)として、ここに新しく生まれ替らされたのである。』

井上靖による島崎藤村の解説3へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です