井上靖による島崎藤村の解説4

井上靖による島崎藤村の解説3からの続きになります。中央公論社から1964年に出版された「日本の文学6 島崎藤村」から井上靖氏による島崎藤村の解説は、当時の藤村の偉業について明瞭に説明しており大変解りやすいのが特徴です。以下、『』内の文章は左記の解説からの引用となります。島崎藤村の研究の一助になれば幸いです。

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『上記の処女小説「旧主人」を初めとする小諸時代に発表した初期の短篇は、「若菜集」の詩人の筆になるものとはとうてい思われぬほど、逞しく達者なものである。いずれもモーパッサンやゾラの影響でもあったかと思われるような題材の選び方であり、それを取り扱うにふさわしい粘りのある筆である。藤村が作家としての将来をただこの一作に賭けた「破戒」より、むしろある意味では才気と逞しい筆力を示しているといっていいかも知れぬ。藤村の詩に見える清純な抒情的な調べとはまったく異ったふてぶてしいものが到るところに顔を出している。「若菜集」の詩人藤村がいかにしてこうした作家藤村に繋がっているか、その関係を考える必要はないだろう。詩というものと、小説というものがいかに異る才能を地盤として開花するものであるかを藤村ほどよく知っていた人もなく、それを身をもってこれほどはっきり示した人もないと思う。初期の作品は後にまとめて第一短篇集「緑葉集」として出版されたが、それがいかに多様な作家としての才能を覗かせているにしても、初期の小説は初期の小説であって、藤村を作家として決定づけたものとは言えない。藤村は「破戒」によって、第二の転身を試み、初期短篇とはまったく異った作風を見せて、これが成功によってゆるぎなき文壇の地位を築くに到ったのである。

 「破 戒」

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 「破戒」は明治三十九年三月に著者発行人、島崎春樹の名をもって自費出版の形で出版された。
 「『破戒』はたしかにわが文壇における近来の新発見である。予はこの作に対して、小説壇が始めて更に新しい廻転期に達したことを感ずるの情に堪えぬ。欧羅巴における近世自然派の問題作品に伝わった生命は、この作によって始めてわが創作界に対等の発現を得たといってよい。わが小説壇に一期を画するるもの、もしくは画せんとしつつあった幾多の前駆者を総括して、最も鮮やかに新機運の旌旗(せいき)を掲げたものとして、予はこの作に満腔の敬意を捧ぐるに躊躇しない」
 これは「破戒」が出版されて間もなく「早稲田文学」に掲載された島村抱月の批評である。
 「島崎藤村の『破戒』が出た。二年間の労作だけあって、思想から言っても、文体から言っても、皆それぞれの特色があって、ずいぶん種々の研究の目的になることと思う。(中略)けれおdもともかくこの作が、わが文壇に始めて自然主義の描法を完全に行おうとしたのは、確かなる事実であろうと思う。今までにもずいぶん自然派のカラーのあった作も作家もあったが、それは唯ある動機によってその一局部がその思潮に触れたばかり、根本からその方針をもって筆を著け、徹頭徹尾、その思うところに進んだのは、この篇をもって最初としなければならぬ」
 これも「破戒」が出版された同じ月に発行された「文章世界」に載った田山花袋の文章である。「破戒」は大きな反響を呼び、各方面に好評をもって迎えられた。いかにこの作品が当時新しいものとして受け取られたかは、いまの私たちの想像を越えるものであろうと思う、この作品によって、初めて小説らしい小説が出現したといった感じであったのである。
 「破戒」の主人公は部落出身の一小学教師で、世の中に生きて行くためには出生の秘密を明かしてはならぬという父の戒めに縛られている。ところがそうした身分を恥じることのいわれなきために、彼の理性と感情の闘いを追求した作品である。社会的問題を取り扱っているので、当時最初の社会小説として見られたことも当然であるし、信濃の自然を克明に映し、地方人の生活を描写している点から自然主義の主張を生かした新鮮な農村小説と見られたこともまた当然だと思う。
 発表以来今日まで「破戒」はいろいろな観点から論じられて来、なお現在においても論じられている。現実の社会問題に取材した社会小説であるか、あるいは作者が部落出身の主人公に自己の苦悩を託した自己の精神内部の劇であるか、こうしたあことが主な論点であるようである。
 
 読者は、しかし、そうしたことに捉われることなく、自由にこれを読み、自由にこの作品の主題を受け取っていいと思う。なぜなら作者の藤村自身もまた、そのいずれの読み方をされても少しも困惑することはないであろうと思う。作者もまたこの作品の主題に対して、それほど明確な割り切り方はしていなかったに違いない。小諸時代に部落問題について見聞することも多く、それに対して社会的正義感から心を痛めたこともあったはずで、ごく自然にそれを材料として取り上げ、主人公の青年を書いて行きながら、当然のこととして、その中に自分自分を投入していったのである。
 「破戒」は日本文学史の上では言うまでもなく、作家藤村の作品系譜の上からみても、逸することのできぬ大きな椅子を占める作品であるが、いまこれを読んでみると、藤村の長篇小説の第一作としてのよさと未熟さも併せ持っていると言うことができよう。人間の描き方にも、人物の出し入れにも、また文章そのものにも、かなり方々に欠点を指摘できると思う。それからまた劇としての展開の仕方も未熟の譏(そし)りは免れぬだろう。しかし、そうした欠点はあるにしても、藤村がこの一作にすべてを賭けて取り組んだ力作としての独特の魅力を持っていることもまた否定できないと思う。現在なお、たくさんの外国ならびに日本の現代小説を読んでいる私たちの鑑賞にも堪え、私たちをして依然としてこの作を無視せしめぬところのものは、藤村の稚(おさな)い、しかし真剣な生への祈りのようなものが、この作品全体に重く流れているからである。
 「破戒」は、しかし、藤村の作品系譜の中では一本の太い幹から外れた作品であるとされている。私たちが藤村文学と呼んでいるものは長篇第二作であり、「緑陰叢書」第二篇として命じ四十一年に出版された「春」を起点として、そこから真直ぐに太い幹となって伸びている。「春」によって、藤村は三度転換し、初めて自伝文学者として自分が終生歩くべき道を発見したのである。』

井上靖による島崎藤村の解説5へ続く

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