尾崎紅葉から泉鏡花の時代まで1

1969年に新潮社から出版された「日本文学全集1 二葉亭四迷・尾崎紅葉・幸田露伴・樋口一葉・泉鏡花・徳冨蘆花」から吉田精一の解説を下記の『』内において引用しております。活躍した時代順に作家を解説したこの文章は、それぞれの個性や代表作が掴みやすい内容になっており、ここでは尾崎紅葉から泉鏡花までをご紹介しております。

『二葉亭が彗星のようにとび去ったのち、明治二十年代の文壇に輝いたのは、尾崎紅葉、幸田露伴の二つの星であった。高揚は明治十八年に、日本で最初の純文芸の団体というべき硯友社(けんゆうしゃ)を組織し、最初の同人雑誌『我楽多文庫(がらくたぶんこ)』を発行して、その中心んとなった。彼はまた学生作家の走りでもあった。
 紅葉は「文章報国」ととなえたように、その最も血肉をかけたのは文章であった。この自分は世界苦や人生苦よりも、「表現苦」「文章苦」が大かたの作家乃第一の問題であり、どのような新文体で、自分の思想感情を表現するかを、作家は模索していたのである。紅葉は露伴とともに、元禄の西鶴に行きあたり、雅俗折衷の文体を好んで用いた。ほかに口語文による小説をも書いているが、思うさまに「文章の力」を発揮したのは、『三人妻』『金色夜叉』などの、雅俗折衷のスタイルによるものであろう。『心の闇』(明治二十六年)もまたその一つである。
 この作品は健康な姿勢の人、紅葉としては多少とも異質なもので、片輪者の偏執的な性情を主題としている。盲人按摩の心理や感情がかなりよく出ているのが特色だが、この種の題材は紅葉の弟子の泉鏡花がこのんでえがいたもので、あるいは鏡花あたりからヒントを得たのではないか。特異な人間だけに、心理の分析の上では、紅葉には珍しくふかいものがあるが、それもなお類型の域を脱し得ず、もう一歩つっこんだ妄執のうす気味悪さが出ていない。もっとも紅葉はその種の深刻さをきらうたちで、本来が常識的な人情家であった。それだけに伝統的な感情や風習の強いこの時代に順応した人物や風俗を批判的にでなく描出し得たのであり、彼の声望の大きさも、流行作家になり得た事情も、それと無関係でない。彼のもっとも得手としたのは女性の描写で、この作品のお久米も、緻密には書いていないが、たしかに「明治」の良家の尋常な女性である。これが地方都市の旧家から、東京の中流階級(ブルジョア)の家庭に移ると、「迷(まよい)多き」鴫沢宮(しぎさわみや)(『金色夜叉』の女主人公)という、あたらしい女性像を造型するのである。

 紅露と併称された幸田露伴は、紅葉と反対に、気魄(きはく)に富む男性を好んで書き、また巧みでもあった。彼は近代小説の本流たる写実からは遠い人であって、彼の作品を通しては、明治の風俗・人情はうかがうことができない。名作といわれるものは、ほとんどすべて歴史小説である。『五重塔』(明治二十四年)もその一つで、幕末の職人の世界を背景にしている、露伴がこのんで題材としたのは、一芸一道に徹する名人気質であり、平凡人の平凡な人情や生活を平叙することには彼は堪えなかった。これは露伴自身が一個の名人であり、豪傑でもあったためである。
 紅葉に明治の為永春水のおもかげがあれば、露伴には新しい馬琴の匂いがするといえないことはない。彼は江戸の雑文学を多読しているが、儒仏両道の教養がふかく、人間の迷いや煩悩をそれとして描くにとどめず、それをこえて、一種の悟り、もしくは諦念に入るところまでつきとめなければ満足しない。そのくせが作品の中に説教趣味となってまといつくとともに、また重厚的な思想性をも帯びさせるのである。
 『五重塔』は説教くささの弱いもので、とくに封建時代の倫理たる義理人情にとらわれず、あくまで自我に忠実であり、自己の与えられた天分と技術を世にあらわすことを使命とする、のっそり十兵衛の造型は、この歴史小説に近代性を帯びさせている。モデルになった谷中の五重塔が名作でないのが、この作品の欠点だという批評があるが、それは創作と事実の照合穿鑿を文芸批評や研究の第一目的としたヤボな沙汰であろう。作品中の五重塔は、りっぱな名作なのである。ともかく露伴にもっともふさわしい人物と材料を、油ののりきった筆力で縦横自在に表現して、生気の流動混沸(こんふつ)する観がある。』

尾崎紅葉から泉鏡花の時代まで2へ続く

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