尾崎紅葉から泉鏡花の時代まで2

尾崎紅葉から泉鏡花の時代まで11969年に新潮社から出版された「日本文学全集1 二葉亭四迷・尾崎紅葉・幸田露伴・樋口一葉・泉鏡花・徳冨蘆花」から吉田精一の解説を下記の『』内において引用しております。活躍した時代順に作家を解説したこの文章は、それぞれの個性や代表作が掴みやすい内容になっており、ここでは尾崎紅葉から泉鏡花までをご紹介しております。

スポンサードリンク

『紅葉露伴の二巨星にくらべると光の弱い星ではあるが、同じく西鶴によって開眼をうけ、小さくとも独自の領域をひらいたのが樋口一葉である。女性としては珍らしく、一葉は自分で自分を造り上げた作家であった。彼女は明治二十九年十一月、わずかに二十四歳六ヵ月で世を去ったが、その佳作といわれるものはすべて死の前縁、明治二十八年(一八九五)中の執筆であり、作家としての名声を確立したのはその年九月の『にごりえ』以後であるから、幸福な作家生活はきわめて短かかったのである。
 『にごりえ』はお力という、いく分すてばちになった、平凡な死に方をしおうもない酌婦を主人公としているが、いく分の理想化があるにせよ、この女性は一葉の作中でも、あざやかな個性となっている。彼女を中心とした銘酒屋の場景描写はすぐれており、一葉の観察力や、物のつかみかたのたしかさを証明している。新開地の酌婦のそれぞれが身にもつ不幸を自分も分けもって、彼女等の生活の、表と裏とを描きわけている手腕は非凡であろう。
 原七の女房おはつは、類型的な世話女房であるが、宿命的な「妻」の座を守る女性を代表して、お力と対照的ながら、過渡的な近代の女の悲しみをうったえている。結末には観念小説のくさみがあるが、短篇の一佳品であることは疑えない。
 しかしもし『たけくらべ』の一作がなかったならば、一葉の名は不朽とはならなかったろう。この作品は、特殊なミリューにおいて、思春期に入ろうとする少年男女の群像を描き出した類のない名作である。一葉作中ではもっとも長いもので、途中に断続はあったが、一年一ヵ月にわたって、『文学界』に連載された。連載中はそれほど評判にならなかったが、『文芸倶楽部』(明治二十九年四月)に再掲されたとき、鴎外、露伴、緑雨などが激賞したので、一躍して世の視聴をあつめたのである。
 登場人物が、美登利をはじめとして生き生きとえがかれているのもめでたいが、ロオカル・カラアに加えて、季節とともに移る風物の観察も緻密で、とりわけ大人の世界に入るとともに失われて行くヒューメンなものに対する哀愁のにじみ出ている点が珍重である。』
 斎藤緑雨はまだ一葉を知らぬ時分、
 
 垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざっぱりとせし唐桟(とうざん)ぞろいに足袋はきて、雪駄ちゃらちゃら忙しげに横抱きの小包は問わでもるし、茶屋が桟橋とんと沙汰して、廻り遠や此処からあげまする、誂(あつら)え物の仕事やさんと此あたりには云うぞかし。

 の一節を激賞し、一葉というのは女だときくが、吉原の事をこう穿つのは不思議だといったそうである。
 こうした細部の妙をあげればきりがないが、とくに称すべきは、真をつかみにくい少年男女の微妙な心理を把握していることである。幸田露伴は評して、
 
 美登利が信如に対する心中の消息は、もとより年ゆかぬもののことなり、あらわには写し難し、さりとて写さでは済まず、これ語を下せば、即ち錯過(さっか)する底(てい)のところ、文の最も難境なるが、凡作家のかかる境に於て動(やや)もすれば千万語を費して而も愈(いよいよ)其の伝えと欲するところのものと相遠ざかるのを醜を演ずるとは違いて、此作者が最も自然に近き方法を以て其消息を伝えしは感ずるに余りあり。……僅々(きんきん)の文字を以て、実は当人すら至極に明らかに自覚せりというにはあらざるべき有耶無耶(うやむや)の幽玄なる感情を写したるは最も好し。

スポンサードリンク

 として具体的な場面をいくつかあげたが、とりわけ象徴的なのは、大黒屋の寮の前で、足駄の鼻緒を切らした信如に、美登利の投げあたえた紅入(べにいり)友禅の小切れが、信如の手にもとられず、人の去ったあとに、雨ににじんだままいじらしくとりのこされる情景である。それはひそかに思いをかよわせあう信如と美登利の、将来の平行線的な関係を暗示する。そして雨と泥ににじんだ紅入友禅は、売笑の女性たるべき美登利の運命を語るものであろう。このくだりも、また彼女の初潮のくだりも、紅葉が社会風俗として女性粧を外面から写しているのに対し、一葉は内面から女性のなげきを切々とうったえているのである。
 泉鏡花は一葉の一歳年下で、また一葉を唯一の仮装敵と見ていた。彼はきわめて特殊の資質をもった芸術家で、かたよった信念と性情に生きたが、表現の上でも、はばからず浪漫的誇張をなし得る、ディオニュソス的なスタイルをもっていた。一葉と作家的出発はほぼひとしかったが、作風はいちじるしくちがう。
 『高野聖』(明治三十二年二月『新小説』)は、彼の全作中、神秘幽玄の境地に出入し得て、もっとも成功し、象徴の域にせまった作品である。欲念をもって慕いよる男性を動物に変えてしまうたぐいの女怪は、中国小説にあり、鏡花はそれからヒントを得ているが、深山に住むなまめかしい年増の妖美を活写したのは、作者の手がらである。
 この作品にはまた鏡花本来の人生観、夫婦観があらわれている。美人の女怪につれそう亭主は、腰ぬけで白痴であるが、これは恋愛に根ざさずに夫婦となって、かよわい女性を自由に虐使する世の亭主族の戯画化に外ならない。それとともに、しんの愛情なく、ただ肉欲のみを目的として女性に近づく男性の姿は、人間の化した馬、猿、むささびに類するものであり、旅僧一人が身を全うしたのは、彼の愛情が無垢であったからである。蒼空に雨が降るという飛騨越えの難所や、蛇や蛭が住む山道は、人間生活の苦しみを語っているかに見える。そして旅僧がこの道をえらんだために苦しんだのは、ブルジョア的卑俗、功利の化身というべき富山の薬売りをにくんだためで、ここにブルジョア社会に生きるロマンチストの宿命がある。
 もちろんそれが意識的な構想でなかったにせよ、見て来れば『高野聖』の舞台は、鏡花の見た人生の縮図である。この奇怪な構図を具体的に印象づける筆力は非凡であって、月光にかがやく谷川、陰森の気のみなぎるひとつ家、肌の色のにおう裸体の美女など、ドイツ浪漫派の景情を思わせるものがある。
 『歌行燈』(明治四十三年一月『新小説』)は、『高野聖』とならぶ鏡花作中の双璧である。自然主義の全盛期に出たために、ほとんど黙殺され、不自然で読むに堪えぬなどの評をあたえられたが、後に中戸川吉二をして『歌行燈』の作者は日本一の詩人だとさけばせたほどの、名人芸の産物であることはまちがいない。
 題材は鏡花一流のものである。彼の母は宝生流の鼓打(つづみうち)の出であり、母方の伯父に同流の高手松本金太郎、従弟(いとこ)に名人松本長(ながし)がいた。そんな関係で、彼の作中には能狂言に関するものが多いが、「芸」の威信を信奉し、芸三昧の執心が作りだす超現実的な境地を至上境とする鏡花は、この法悦に生きることで、人生苦からの解脱を祈願したのである。
 構成は、二つの場面を平行して移動させつつ、物語を展開するという劇的なものである。複雑な物語を一晩の、ある短い時間内に凝縮して、次第にテンポを早め、感情も行動も終りに進むにつれて高めつつ、カタストローフに達する。この進行の度合いは能楽の構成原理に従ったものである。そして筋も人物も、不自然、不合理をきわめているが、そうした欠陥を忘れさせ、芸の神秘を語って読者を陶酔させるところに、鏡花という美酒の独自の味がある。』

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です