水上瀧太郎が語る泉鏡花2

水上瀧太郎が語る泉鏡花1の続きになります。水上瀧太郎(みなかみたきたろう)は泉鏡花を師と仰ぎ、彼が1928年(昭和3年)に書いた「鏡花世界瞥見」は、1967年に筑摩書房から出版された「現代日本文学全集9 泉鏡花 徳冨蘆花」の一巻に掲載され、それから5年後の1972年に同社から発行された「現代日本文学大系5 樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集」ではこの解説は現代仮名遣いに改められた上で、所載されています。今回は、現代仮名遣いに改められた左記の本稿を全文『』内にて引用しております。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

『当時成ったものに「鐘声夜半録」があるが、これを郷里から紅葉先生に送ったところ、編中の人物を描く筆に鬼気迫れるを看て取って、師は其の愛弟子の命を捨てん事をあやぶみ、書を送って激励した。

 (略)「鐘声夜半録」と題し例の春松堂より借金の責塞(せめふさぎ)に明日可差遣(さしつかはすべき)心得にて此二三日に通編刪潤(さくじゅん)いたし申候巻中「豊島」の感情を看るに常人の心にあらず、一種死を喜ぶ精神病者の如しかかる人物を点出するは、畢竟作者の感情の然らしむる所ならむと私(ひそか)に考え居候ひしに果然今日の書状を見れば作者の不勇気なる貧苦の為に攪乱されたる心麻の如く生の困難にして死の愉快なるを知りなどど浪(みだ)りに百間堀裏の鬼たらむを冀(ねが)ふ其の胆の小なる芥子の如く其心の弱きこと苧殻(おがら)の如し(略)破壁断軒の下に生を享けてパンを咬み水を飲む身も天ならずや。
 其天を楽め。苟(いやしく)も大詩人たるものはその脳金剛石の如く、火に焼けず、水に溺れず刃も入る能(あた)わず、槌も撃つべからざるなり、何ぞ況(いはん)や一飯の飢をや。汝が金剛石の脳未だ光を放つの時到らざるが故に天汝に苦楚の沙と艱難の砥を与へて、汝を磨き汝を琢(みが)くこと数年にして光明千万丈赫々(かくかく)として不滅を照らさしめむが為也(略)汝の脳は金剛石なり。金剛石は天下の至宝なり。汝は天下の至宝を蔵むるものなり(略)近来は費用つづきて小生も困難なれど別紙為替の通り金三円だけ貸すべし倦(うま)ず撓(たゆ)まず勉強して早く一人前になるよう心懸くべし。

 此の秘蔵の手紙を筐底(きょうてい)より取出す時、泉先生は眼底に感涙を湛え、必ずおし頂いてから披見される。
 厚きなさけの籠る師の手紙は、年少の弟子の死を希う心を烈しく鞭打った。金剛石の脳は艱難の砥に磨かれて、光明千万丈、数年をまたずして赫々の光を放つに至った。
 その頃『新小説』と対峙して第一流の文芸雑誌だった『文芸倶楽部』に「夜行巡査」と「外科室」の出たのは二十八年の事で、清新にして力ある文体は先ず人の目を奪い、主題を把握する事の強く、熱情を以て至純の感情を描いて世人に是非を問う挑戦的態度は、感傷的写実主義時代の文壇に大なる驚異をもたらした。作者は忽ち新進作家中の第一人者に数えられ、潑剌たる制作力は潮の如くあふれて来た。
 先生みずから二三の作品の名をあげて、世評皆喧(かまびす)し。褒貶(ほうへん)相半ばす。否、寧ろ罵評の包囲なりし。
 と書いて居るが、それは一部分真実で、一部分は謙遜に出る嘘である。褒貶相半ばした事は本当であろうが、之を貶す側の評者と雖(いへど)も、最も注目すべき作家なりとした事は疑う余地がない。
 此の新進作家の特異の作風に対して、時の批評家は観念小説或は深刻小説の名を与えた。尤も、広津柳浪、川上眉山の如き先輩も此の派の中に数えられた。観念小説とは、当時の文壇の主流をなす写実主義に対して、ひとつの理想主義と見る事も出来るし、後年大に流行(はや)ったテーマ小説の先駆を為したものと見ても失当で無い。例を泉先生の出世作にとれば、「夜行巡査」は職務の為には人情も、恨も、愛も捨てて一身を犠牲にした。その結末の数行を抜けば、観念小説の何たるかは容易に了解する事が出来るであろう。
 
 あはれ八田は警官として、社会より荷(にな)へる負債を消却せむがため、あくまで其死せむことを、寧ろ殺さむことを欲しつつありし悪魔を救はむとて、氷点の冷、水凍る夜半に泳を知らざる身の、生命とともに愛を捨てぬ。後日社会は一般に八田巡査を仁なりと称せり。ああ果して仁なりや、然も一人の渠(かれ)が残忍苛酷にして、恕すべき老車夫を懲罰し、憐むべき母と子を厳責したりし尽(じん)するを、讃歎するもの無きはいかん。』

水上瀧太郎が語る泉鏡花3へ続く

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