水上瀧太郎が語る泉鏡花3

水上瀧太郎が語る泉鏡花2の続きになります。水上瀧太郎(みなかみたきたろう)は泉鏡花を師と仰ぎ、彼が1928年(昭和3年)に書いた「鏡花世界瞥見」は、1967年に筑摩書房から出版された「現代日本文学全集9 泉鏡花 徳冨蘆花」の一巻に掲載され、それから5年後の1972年に同社から発行された「現代日本文学大系5 樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集」ではこの解説は現代仮名遣いに改められた上で、所載されています。今回は、現代仮名遣いに改められた左記の本稿を全文『』内にて引用しております。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

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『もうひとつなぞって「外科室」を例にとると、これは医科大学の学生が、植物園の内で高家の姫を見る。やがて九年、医学士は病院の外科科長になっていたが、疾患を癒すべく雪の肌に刀をあてた美しき伯爵夫人は、彼が心に忘れぬ植物園内の姫であった。婦人も医学士をおもっていたので、みずから胸にあてた刀に手を添えて、乳の下深く搔切った。医学士もその後を追ったのである。

 青山の墓地と谷中の墓地と所こそは変わりたれ、同一日に前後して相逝けり。
 語を寄す、天下の宗教家、渠等(かれら)二人は罪悪ありて、天に行くことを得ざるべきか。

 今にして見れば、テーマは幼稚だといい捨てられそうだが、当時に於てはその熱情のはげしさに於て、常識以上遙かなるものであった。夫ある妻が他人を想い、夫ある妻を他人が恋する、その熱烈なる至情を咎むるなと、此の恋愛至上主義の作者は、道学者に対して勇しく叫んだのである。
 更に大胆極まるのは「海城発電」で、主題は矢張職務の神聖を説くもののようであるが、一篇を構成する事件としては、愛国心と人道主義の対立を取扱っている。時は恰も日清戦役直後だ。月琴を弾いても国賊呼ばわりされたり、石つぶてを打たれたりした時代に、作者は敢然としてあやまれる愛国心を非難したのである。

 予は目撃せり。
 日本軍の中には赤十字の義務を完うして、敵より感謝状を送られたる国賊あり。然れども、また敵愾心のために清国の病婦を捉へて、犯し辱めたる愛国の軍夫あり。

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 小説といえば、志那伝来か、江戸時代から持続きの、架空物語を文章の綾で読ませるものと思っていたところへ、少なくとも自分達の当面の問題となり得る人生の矛盾や葛藤を端的に把握し、力強い表現で描写し、熱情を籠めて読者の賛成を求めたのであるから、今迄考えていた小説の概念とは甚だ違うものが出現したわけだ。当時の知識階級の代表者たる大学生が、就中(なかんずく)此の作者を讃美したのは当然であろう。
 しかし泉先生の持って生れた浪漫趣味は、長く此の境地に止まる事を許さなかった。現実世界に感激の純情をもって呼びかける態度をとったのは束の間で、やがて作者の情熱は、他の大正を求めて遠く去った。それは何であるかというに、超自然の神秘境に憧憬のおもいを寄せる事であった。「砂の宮」「蓑谷」「龍潭譚」の如きがそれで、やがて両者は打ってひとつとなり、泉鏡花先生の作風を定めたのである。
 現代の文章の普通の体をなす言文一致は、二葉亭四迷と山田美妙斎によって始められたものだと伝えられるが、明治二十年代には、小説は多く文章体だった。尾崎紅葉先生は「豆腐と言文一致は大嫌ひだ」と揚言して居たと聞くが、そのお弟子の泉先生も、二十年代には殆どすべて文章体で書いて居た。尤も個性の強い先生の事であるから、同門の他の人々のように、紅葉先生張の文章を書く事はせず、森鴎外先生や森田思軒居士の翻訳調をとり入れた時分一流の雅俗折衷体を用いた。

 夜半渠(かれ)の如き姿態と気色とは、最も良く自殺に適せり。予は直ちに「貴女身を投げるのではありませんか。」と問はむとせり。斯く謂はば、戯るるに似たらむ。他に人無き時、諧謔以て生面の婦人にのぞむべからず。或は「若し姉さん気を着けておいでなさいよ。」こはまた要らざる御世話なり。予は若年男子の身、老婆にあらずしていづくんぞ這般(しゃはん)の深切を説くべき。(鐘声夜半録)

 見本を示すとこんなものだが、しかし御大将紅葉先生さえ後には言文一致を採用するようになった位だから、泉先生も明治三十年前後から文体を一変した。
 私の詮索にあやまりが無ければ、三十年四月の『新著月刊』の巻頭を飾った小説「化鳥」が、泉先生の原文一致体の最初のものであろう。そのかき出しは斯ういうのである。

 おもしろいな、おもしろいな、お天気が悪くつて外へ出て遊べなくつてもいいや、笠を着て、蓑を着て、雨の降るなかをびしよびしよ濡れながら、橋の上を渡つて行くのは猪だ。

 続いて翌月の『文藝倶楽部』に出た「堅パン」になると、すっかり手に入ったもので、思い切って力強くたたみ込み、ひた押しに押して行く急調子のものとなった。

 「入らつしやい!」
 権の野郎が其声といつたらない。腸(はらわた)を絞り出して打つつけるやうな音であるから、客を呼ぶやうな容易なことではない。乗車を勧めるといふやうな手軽なものではない。まるで其九段の上に群つてる人を、坂下の総井戸の処に居て、引掴んで胸倉を取つて、ずるずると馬車の中へ引摺込まうとする声だ。恐しい声だ。

 ここ迄来ると、その後三十年たった昭和時代の小説の文体と何等の変りがない。』

水上瀧太郎が語る泉鏡花4へ続く

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