水上瀧太郎が語る泉鏡花7

水上瀧太郎が語る泉鏡花6の続きになります。水上瀧太郎(みなかみたきたろう)は泉鏡花を師と仰ぎ、彼が1928年(昭和3年)に書いた「鏡花世界瞥見」は、1967年に筑摩書房から出版された「現代日本文学全集9 泉鏡花 徳冨蘆花」の一巻に掲載され、それから5年後の1972年に同社から発行された「現代日本文学大系5 樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集」ではこの解説は現代仮名遣いに改められた上で、所載されています。今回は、現代仮名遣いに改められた左記の本稿を全文『』内にて引用しております。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

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『生まれながらの浪漫派なる泉先生の思想には、常に自由を欲し、束縛を嫌う心持が強い。従って血の通わない道徳はいさぎよく踏破る事をよしとする。何を置いても讃美せねばならぬ女性の上に束縛を加えるものは憎む可きで、世上の亭主が女房よりも大きな面をして威張っているのなどは、先生の任侠到底黙視してはいられないのである。鏡花世界に於ては、いかに多くの美しき妻が絶大の讃称を受ける一方に、いかに多くの亭主が極端なる嘲罵(ちょうば)をこうむるか。妻の美を高調する為に、亭主は薄野呂で、やきもちやきで、鼻の下が長い事になる。こういう幾多の御亭主が、作者の後光を身に浴びて美しい女房に、面罵され、まおとこされ、間抜けよばわりされる運命を背負わされる。通俗小説常套の手段は、鏡花世界の夫婦は大変不釣合だ。それは作者が、婚姻によって結ばれた夫婦を讃美せず、惚れた同士の恋愛ばかりを美しいものとするからである。そこで美しい妻を婚姻によって得た亭主は、当然手きびしくやられるのである。又此の世界に於ては、亭主は女房に惚れているが、女房は亭主になんか惚れないのが多い。亭主を嫌う美しい女房に対して悶々の情遣背(やるせ)ない亭主は、度々先生の描くところとなった。要するに美しい女は芸術品に等しく、一人の人間がわたくしするのを許し難しとし、公憤おのずから叱咤するが如きを文字を成すのであろう。
 既に、女は美しければよく、学問教養の如きは全然無用だというのだが、そのかわり女は、美しきが上に情熱を多分に持合せていなければならない。
 「湯島詣」の主人公神月梓は、仏蘭西で教育を受けた夫人を捨てて、数寄屋町の妓と共に死んだ。その親友龍田春吉は、二人の女を対比して夫人を罵り、蝶吉をたたえている。曰く。

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 先方ぢやあ巴里で、麺麭(パン)を食ってバイブルを読んで居た時に、此方ぢやあ、雪の朝、顫(ふる)へてるのを戸外へ突出されて、横笛の稽古をさせられたのだ。(略)同じ我々同胞の中へ生れて来て、一方は髯を生して馬車に乗つた奴に尊敬される、一方は客とさへいやあ馬の骨にまで、其の笛を以て、其の踊を以て、勤めるんです、此間(このかん)に処して板挟となつた、神月たるもの、宜しく彼を捨ててこれを救ふべしぢやないか。(略)
 総て女学校の教科書が貴夫人に化けたやうな訳で、まづ情話を聞かされると頭痛がして来るといやあ、生理上然云(さうい)ふことのあらう筈はない、と云った調子だから耐つた訳のもんぢやあない。
 鰹魚(かつを)は中落(なかおち)が旨くつて、比良目(ひらめ)は縁側に限るといやあ、何ですか、其処に一番滋養文がありますか、と仰有(おっしゃ)るだらう。衛生尽(づく)めだから耐らない。やれ教育だ、それ睡眠時間だ、もう一分で午砲(ドン)だ、お昼飯だ。お飯(まんま)だ。亭主が流行感冒一つ引いても、真先に伝染性なりや否やを医師に質すやうな婦(をんな)を、貴婦人だつて、学者だつて、美人だつて、年増だつて、女房にして居らるるもんか。
 (略)
 然るに蝶さんに至つては、其の今まで為し来つた総ての、可いかい、平つたくこれをいへば苦労だ。其の苦労は殆ど天下に大名を為したものの、堅忍苦耐した位なものだよ。其の閲歴に対する報酬として、唯、ひたすら、簡単に神月に見捨てられまいといふことを願つて又他意なきを如何よ。其上に一意専心、神月の為に形造るに到つては、男子須(すべから)くこれがために名と体とを与ふべしさ、下らない名誉だの、財産だの、徳義だのに、毛一筋も払ふもんか。

 敢てそれは蝶吉のみでは無い。思う男の為には、一切をあげてたて引かなければならない。何時でも命を捨てて惜まない覚悟が必要なのだ。
 こういう女性にとって幸か不幸か、鏡花世界のいろおとこは、現代に生きるべく余りにむ無力である。意気地無く女に庇護され、けしかけられ、励まされて、あやうく男の面目を保ち得るようなのも少なくない。恐らく、善玉と悪玉と、強い者と弱い者と、極端と極端を対比させる事を喜ぶ先生としては、理想の女を此の上も無く引立たせる為に、男を意気地なしにする事も必要なのであろう。』

水上瀧太郎が語る泉鏡花8へ続く

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