水上瀧太郎が語る泉鏡花9

水上瀧太郎が語る泉鏡花8の続きになります。水上瀧太郎(みなかみたきたろう)は泉鏡花を師と仰ぎ、彼が1928年(昭和3年)に書いた「鏡花世界瞥見」は、1967年に筑摩書房から出版された「現代日本文学全集9 泉鏡花 徳冨蘆花」の一巻に掲載され、それから5年後の1972年に同社から発行された「現代日本文学大系5 樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集」ではこの解説は現代仮名遣いに改められた上で、所載されています。今回は、現代仮名遣いに改められた左記の本稿を全文『』内にて引用しております。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

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『先生は身辺雑記小説を書かないから、他の近代作家のように、生きている人間をつかまえてモデルとし、写生的に描く事はしないが、そんならモデルは全然無いのかというと、随分大胆に使っている。ただ之を描くにあたっては、自分の好むがままに善玉にし悪玉にしてしまうのである。自分は人生の従軍記者で、ただ目撃する事実を世に伝える事を職分とすると云った自然派の作家があったが、泉先生は冷かな観察者では無く、又事実の記録者でも無い。先生の態度は野球競技の応援団のように熱情的で、活躍する選手を声援しないではいられなくなるのだ。しかも先生の英雄崇拝は、一挙手一投足さえ美化しなければ止まないのだから、先生の描く人間は、吾々と共に社会を営む人間のように、表裏陰影のある人間ではない。今日の社会状態には無関心、今日の政治には無関心、時には物を食う事さえないのでは無いかと思われる程、穢(けがれ)を知らない人物が多い。ただ彼等は、強き感情の表現の為に努力する義務を負わされているので、自然性の如きはいさぎよく犠牲にしなければならないのである。
 しかし、それだからといって、その人間が真実性をもっていないかというと、一概にそうとは断言出来ない。彼等は精神的に生きる強い力を賦与されている。情熱世界に於るいき方を、吾々の為に教えてくれる。だが、何といっても物足りないのは、あまりに単純なる善玉と悪玉の対立に過ぎて、人と人との複雑な交渉、心理的の面白さを欠く点にある。
 殊に悪玉を描く段になると、善玉に対する時のような熱情が無いから、作者はいい加減にからかい、甚しく滑稽化して喜ぶ悪癖をあらわす。浪漫派の作者にとっては、熱情を失う事が何よりもおそろしいのである。
 人間を思うが儘の型にはめこんでしまう事は、先生の理想主義の結果であるが、既に性格描写や心理描写に左程の興味を感じない先生にとっては、それ等の人間を紛糾せる事件の渦中に投じて、その場その場の驚く可き開展と共に活躍させなければならない。先生がヌウベルやコントに大した面白味を感じないで、ロマンに終生努力を尽す所以である。従ってその作風は、著しく物語風で、筋の変化を特徴とし、平凡人の日常生活には到底見出し難い驚異的の事件が多い。部分的には先生一流の主観客観いりまじった、自由奔放な印象の強い描写の筆をふるうが、全体としては物語を主とする、たまたま大がかりな物語よりも、小品に近い小説もあって「女客」「祝盃」の如き逸品があるのだが、先生自身はさほどに思っていない。それよりも話の筋で読者を釣って行って、最後に得意の悲劇的頂点に引摺り込み、作者の感情を思う存分移入し、読者をして鏡花世界の一員たらしむる事が目的なのだ。その点に於て、先生の素晴しい表現力は、いかなる場面をも意のままに描出す。東西古今を通じて、泉先生ほど文字を以て自由に絵を描いた人はない。色彩と香気と音楽と、巧妙に錯雑した描写は、人間技とは思えない。ただあまりに達者過ぎる為、物語の頂点に辿りつく迄に、道草を食い、遊び過ぎる感がある。殆んど無用に等しい名文が、一篇の大部分を占める場合も無いとはいえない。
 先生が物語りの作者であるひとつの証拠は、先生程すぐれたる詩人にして、短詩形の詩の持合せの無い事である。先生の俳句は到底月並の域を出切れない。二三の例をあげると、

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 撫子やなほその上に紅さいて
 ぼんぼりをかざせば花の梢かな
 紅閨に簪落ちたり夜半の春
 よしありて卯の花垣のおもひもの
 
 誰が此の生まれながらの芸術家の息のかかったものと思う事が出来よう。そこには、もっとも安手な型にはまった、いろどりがあるばかりだ。短い詩形に盛る可き訓練を経ていないか、或は先天的に、物語の筋をともなうにあらざれば、詩境に達する事が出来ないのであろう。先生は詩人である。しかし、小説以外の形式に於て、果して詩作し得られるかどうかは疑わしい。此の事実は、先生が頭の天辺(てっぺん)から足のさき迄小説家であるという強味を示すものと見ても差支えない。』

水上瀧太郎が語る泉鏡花10へ続く

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