水上瀧太郎が語る泉鏡花10

水上瀧太郎が語る泉鏡花9の続きになります。水上瀧太郎(みなかみたきたろう)は泉鏡花を師と仰ぎ、彼が1928年(昭和3年)に書いた「鏡花世界瞥見」は、1967年に筑摩書房から出版された「現代日本文学全集9 泉鏡花 徳冨蘆花」の一巻に掲載され、それから5年後の1972年に同社から発行された「現代日本文学大系5 樋口一葉・明治女流文学・泉鏡花集」ではこの解説は現代仮名遣いに改められた上で、所載されています。今回は、現代仮名遣いに改められた左記の本稿を全文『』内にて引用しております。また、この連載も今回で最後になります。おつき合い下さった皆様方、ありがとうございました。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

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『浪漫派の作家にとって熱情が生命である事は前にも述べた。然し熱情は年齢と共に内部に潜み易くなるのが普通である。泉先生の場合にも作家生活の初期に於ける如き一本気の熱情はつとに力を弱めている。同時に又感受性もその若さを失った。
 人生に於る経験の浅い時代には、見るもの聞くものが珍しく、新しい事物はみんあ栄養となって、肉となり、血となるが、その消化力もいつ迄も続きはしない。たとえば泉先生の場合、讃美の対象たる女性は、年上の婦人、女芸人、おいらん、芸者と移って行ったが、時代の推移が新しく生んだ女学生や、更にその次の時代の最も著しい特徴を持って生れた職業婦人やカフェの女給は、遂に先生とは縁の無い存在である。たまたま作中にとり入れられる事はあっても、先生一流のいたずらをほしいままにさせる端役に過ぎない。
 おまけに一方では先生の理想主義が、早くも鏡花世界に立籠る事を要求するので、或時期以後先生の作品の変化は消極的方面にしか展開しなくなった。空想は無限に延びるといわれているが、決して真実ではなく、その限界には直きぶつかってしまう。寧ろ現実は無限の進展を持つという方が真実である。
 それは物語風の小説を作る人にとって、兎角伴い安い危険であるが、泉先生の如き芸術至上主義者され、あまりに読者を目安に置いていやあしないだろうか。先生の談話筆記の中に、昔は自分の作品を読んだ人が、物凄い、冷い感じに打たれて、読後悪寒を覚ええる事があっても一切御構いなしだったが、それはよくないと気が付いて、なるべく快い心持を残すように努めているという意味の事があった。その為であろう、時々とてつもないところに救いの神様が御姿を現わして、結末を目出度(めでたし)目出度にしてしまう事があるが、先生の作品のひとつの特徴は、北国的の陰鬱と、錦絵や草艸紙に見るような残酷美の中に悩ましい詩境があるのであるから、先生本来の愛読者はとってつけた幸福大団円(ハッピエンド)などは望んでいない筈だ。もっともっと残酷でも、もっともっと陰惨でも、構わないのである。鏡花先生独特の深刻美こそ、読者が待設けている所のものなのである。
 その他にもう一つ先生の敢てした間違は、本来の神秘主義を象徴主義へ進展させずに、怪談的傾向に延長させてしまった事だ。それにはうでを頼む先生として、深山幽谷に神秘を描くのはわけなしだから、ひとつ白昼日本橋の真中へお化を出して驚かしてやろうという心組があったのであろう。同時に又此の傾向は、若々しい詩情を湛えた時代の憧憬は、容易に象徴世界に入って行かれたが、年と共に心の柔軟性を失って、しかけ物お化しか出せなくなったと考えてはいけないだろうか。
 人は年をとるに従って、同時に観察の広さと省察の深さを加え、人生を見る眼が円熟して来る。人生の味は老を加えて愈々深まさるものらしい。芸術家の中でも、肉体労働の最も少ない小説家の如きは、年をとってこそ始めて大きい仕事が出来るのでは無いだろうか。
 それなのに、泉先生は年をとったと云われる事を何よりいやがる。たぶん旅行先の宿屋では、十歳位さばをよむであろう。先生はいう、芸術家は年齢を口にしてはいけない。年をとったなんていう感じを読者に与えてはいけないと。私は此の説に服さないものである。年齢に従って、書くものに色気の無くなるのは、如何にも防ぎきれないと思う。一方に失うもののあるかわりに、他方に深き判断を得るのであるから、年をとってもちっとも驚く事は無く、羞しがる事も無い。世の味いは愈々深きを加え、豊かに細かなる観察と柔味(やわらかみ)を含む理解同情は、作品に海の如き底力と、いぶし銀の光を与えるであろう。

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 しかし、色気を失うまいとする泉先生は、何処迄も若々しい心持でいようと努めて居られるのであろう。そこに多少の無理があって、そのかみの純情の清さがなく、昔の熱情の本気が無い。感情のきめのこまかさがなくなり、しかも当然加わって来る可き静寂の味があらわれない。

 尤もそれは小説の話で、感情の激越をめあてとしない随筆には、近来先生の心境のおちつきが滲み出して来て、此の数年間に珠玉の如き名品が、つぎつぎにあらわれ、新たなる鏡花世界の魅力を発揮している。
 私は此の稿を起すにあたって、泉鏡花先生の作品研究と題し、出来る丈多くの材料を集めたが、それを纏める丈の時日を得る事が出来なかった。止むを得ず題をあらためてその一部を茲(ここ)に記したのであるが、稿終って、明治大正昭和にわたる此の巨匠の功績を数うる事の十分で無かったのを何よりも残念に思う。(昭和三年十二月)』

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