泉鏡花作品解説集7

泉鏡花作品解説集6の続きになります。清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

 高野聖解説の続きです。

『~中略~
 全体を大きく分けると、旅をする若者の話、旅僧、つまり高野聖の怪奇艶麗な追憶談、女に仕えているおやじの怪異な打明け談……と三つの部分からなっていて、謡曲の仕型話のスタイルを取り上げたといわれる。もちろん旅僧の話が主要部分である。われわれ読者は作者の豊かな空想力、絢爛として色とりどりの美しい語彙、流れるようにリズムある文体に乗せられ、神秘霊妙な幽境の怪異におびえつつも、物語の世界に浸る醍醐味をあますところなく与えてくれるのである。
 それゆえ、この作品には鏡花芸術のすべてが含まれているといってよい。しかし、いくらか他の作品と趣を異にしている点はといえば、魔女を登場させていることであろう。だが、魔女という条件を除けば、女がこの上なく芳麗であることや、男よりも年上であること、そして物語の怪異な現象が、セックスを媒体として起こりながら、それでいてセックスを感じさせない清潔さ、非官能で優雅な情趣をにおわせていることも、他の作品んと同様である。
 およそ鏡花の作品に登場するほどの女性は、いずれも美しく上品である上に、貞淑であって「二夫にまみえる」ということはない。にもかかわらず、この作品の主人公に限っては、例外である。魔女も魔女、

 「然もうまれつきの色好み、殊に又若いのが好きぢやで、何か御坊にいうたのであらうが、其を実(まこと)とした処で、やがて飽かれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、忽ち形が変ずるばかりぢや」

 と、おやじの打明け話にもあるように、つぎからつぎへと男を誘う淫らな魔性の女なのである。しかし、読んでいて主人公の振舞いに、少しもいやらしさや頽廃を感じないのはどうしたわけであろう。あさましい色欲の世界を書いていながら、色情のいやらしさを感じさせない。そこに鏡花文学の真髄があって、このことは、生涯の全作品に通じていえることでもある。
 そもそも女が、この山中にわざ住まいするに至ったのは、洪水で一村ことごとく流亡してしまったことにもよるが、しかし、ただひとり生き残った白痴の男(現在の夫)と暮らすに至ったのは、その男を憐れと思ってのことでもあった。しかし、畸型で白痴な男と生涯をともにするには、女はあまりにも美しすぎた。女は多情好色である。しかしそれは、女の美しさを讃えるにとどまらないで、その肉体をわがものにしようとする男たちがいるからである……とでも、鏡花はいいたげである。だからこそ、女を単なる肉体的、物質的存在と見ないこの旅僧が、かろうじて生命を完うしたというわけである。ここに、俗世間ありきたりの好色と、女性を生けるものの美の象徴と見る芸術家との違いがある。
 またこの小説を、作者の人生批判であると説く見解もある。

 「峠の一つ家に住む、なまめいた中年増と腰ぬけで白痴のその亭主とは、恋愛に根ざさないで結ばれた因襲的な夫婦生活を戯画化したものだろう。フエミニスト鏡花は、世の人妻をすべて美しくやさしく、心ならずも夫に仕えるたおやめとし、これに対して亭主は妻を妾兼女中としてこき使う憎むべき動物と見る。この夫婦はそれを畸型化した一つの実例であろう。
  愛情なく、ただ肉欲のみを目的として女性に近づく世の男性の奴は、人間の化した馬や猿やむささびに類するものであり、旅僧ひとりが身を全うしたのは、彼の愛情が無垢で純一であったからである。」、(吉田精一「日本文学全集3」の解説・新潮社)

 ところで、近代作家中でも鏡花ほど感覚が鋭く、まぶしいほどに美しいことばを、しかももっとも印象的に操作することの自由な作家はめずらしいと思われる。この一編においては、特にそれが目立っている。
 そのような叙述のあとをたどってみよう。
 女が旅僧を案内したのは、山間に隠見する清冽な流れであった。その水を、

 「いづれも月光を浴びた、銀の鎧の姿、目のあたり近いのはゆるぎ糸を捌(は)くが如く真白に翻つて。」

 あたりに夕暮れがたちこめ、その中を女は僧に先立って渓流に向かう、その女の素足の美しさを、

 「真白なのが暗(やみ)まぎれ、歩くと、霜が消えてゆくような……。」

 と止めた文体の余情。まったく鏡花の前に鏡花ほど女性の美しさを書いたものもなければ、鏡花の後にも鏡花ほど、女性美を感覚的印象的に文章化した作家はあるまいと思う。
 そしてさらに、長い怪異の回想談を語りおわった高野ひじりが、

 「ちらちら雪の降る中を……」

 やがて遠ざかっていくその後姿を、

 「恰(あたか)も雲に駕(が)して行くやうに見えたのである。」

 という、鮮明なイメージによって、この小説は結ぶのである。
 なお鏡花には、『高野聖』の原型とみられる『白鬼女物語』と題した未発表、未定形の作があったことが、村松定孝らによって発見されて、『明治大正文学研究』(昭和三二年三月)にかかげられた。六章で構成されたその作品は『高野聖』と共通する点が少くないので、作者はこの原型をあたため、みがきあげたのであることは疑いない。』

泉鏡花作品解説集8へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です