泉鏡花作品解説集11

泉鏡花作品解説集10の続きになります。清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

 眉かくしの霊解説の続きです。

 『もっとも、鏡花文学の魅力は、架空な世界をあたかも実在しているかのように信じこませる所にある。そして、登場してくる女性もまた、現実に存在しない、ロマンチスト鏡花の観念の中だけに存在する、いわば、美の象徴としての女性の原型に、作者の息をかけ、肉づけをして、生ある人間と化して、われわれ読者に錯覚を与えるところにあるのだ。
 とはいえ、この作品の構成が、単なる思いつきや、作者の御都合主義によってだけで運ばれているわけではない。実は、鏡花には鏡花独特の作劇術があるのである。それは、たびたび触れたように中世能楽の詞章、謡曲の作法にほかならない。この作品においても、筋が仕方話のスタイルによって運ばれ、解明されていく。番頭の口から語られていく怪異談。その怪異談を語りおわったとき、その幽霊がふたたび、その場の酒席に姿を見せる。そして、

 「座敷は一面の水に見えて雪の気はひが、白い桔梗の汀に咲いたやうに畳に乱れ敷いた。」

 と結ぶのであるが、このような筋立てこそ「能の五番目物に近い」(吉田精一)といわれるのである。
 ところで、「幽霊と江戸戯作」といえば、だれしも思い出すのは、お岩の登場する『東海道四谷怪談』であろう。だが、お岩を書いた鶴屋南北と、鏡花の描く幽霊とでは、まったく異質のものである。第一、それを描こうとする態度が根本的に違うのである。
 南北が幽霊を書くのは、太平安逸に馴れて、刺激を求めてやまない江戸市民の頽廃ムードにこたえてのことであった。毒殺しておいて、その手足を戸板に釘づけにして川へ流すというような、目を覆わずにはいられない残酷さ。また、死者は幽霊となって、残忍非道な悪役に復讐するために、抜毛の多いざんばら髪、紫色にむくんだ半顔、口から血を滴たらせながら迫ってくる醜悪怪奇さ。殺し方もどぎついが、その幽霊の報復もどぎつく、観客の血も凍るばかりである。
 それに対して、鏡花の幽霊は、

 「屹(きつ)と向いて、鏡を見た瓜核(うりざね)顔は、目(ま)ぶちがふつくりと、鼻筋通つて、色の白さは凄いやう。気の籠つた優しい眉の両方を懐紙でひたと隠して、大きな瞳で熟(じつ)と視て……」

 とあるように、水のように冷たく、白鷺のように白く、花のようにあでやかな幽霊なのである。それは、幼時金沢の炬燵で伯父から聞いた、

 「これは疑ふべくもあらぬ雪女﨟(ゆきじょろう)……」

 の再現なのである。この物語の背景も、白一色の銀世界で、ときに美しい白鷺が舞いおりてしぶきをとばす夜である。南北の幽霊は、復讐のために現われるが、鏡花の幽霊は、対座する人間に仇をなすどころか、恐しい中にも、相手に、ある郷愁にも似たなつかしい感情を誘い出させる存在である。
 さらに古典をさかのぼって、元禄の文豪井原西鶴の作品に登場する幽霊はどうであろう。これはまた、南北と鏡花と違う以上に異質の作家であるようだ。西鶴の幽霊には、およそ具象性は乏しいから、恐しくもなければ美しくもない。まったく読者の心になんのイメージをも与えないのである。それもそのはず、西鶴自身、幽霊の存在など、てんから信じていないから滑稽なイメージこそ与えることはあっても、その以外のどんな感動もない。
 「好色二代男」の中の「百物語に恨が出る」を見てみよう。
 ある夜、遊女たちは、つれづれをまぎらわすために、それぞれ自分たちが男をたぶらかした体験を、自慢気に語りあった。すると、あたりが暗くなって、部屋の四隅から、さんざん話題にされた客の男たちが、すっかり落ちぶれ果てた幽霊となって、うらめしや、とばかりに恨み言を並べはじめた。遊女たちは、生きた心地もなくおびえて、ただわび言をくりかえす。と、ひとりの賢い遊女が、みなさん、今夜の収入(あげいり)はだいじょうぶでしょう、と声高く叫んだ。お金をとられるな、という意味でいったのだ。それを聞くと、さすがの幽霊も、すっかり興ざめして消えてしまうという、一種のコントである。
 金、金、金に賭ける現実的でたくましい、元禄の時代精神と、上方町人興隆期を代表するリアリスト西鶴には、現実を肯定し、現実を謳歌するに忙しく、目に見えない霊魂の存在など、まったく顧みる余裕などはないのであった。つまりこのコントは、金という強烈な現実を認識するための方便として、無力な幽霊が利用されたにすぎないのである。
 江戸趣味の作家とは呼ぶものの、こと幽霊に関しても、鏡花はやはり鏡花以外の何者でもない独特の美の女神、女性美の象徴としての幽霊をえがいたのであった。
 強いていえば、『雨月物語』の上田秋成が幻想の美しさや怪異文学の中に芸術的な生命を見出したことにおいて相通づるものがあろうと思われる。しかし、幽霊をもって、女性美を描こうとした作者は、やはり鏡花をおいてほかにはないのである。』

泉鏡花作品解説集12へ続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です