泉鏡花作品解説集12

泉鏡花作品解説集11の続きになります。清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

 婦系図

『明治四十年の一月から、鏡花は「やまと新聞」紙上に『婦系図』をかきはじめた。昭和十一年、「紅葉をしのぶ座談会」の席上で徳田秋声が、当時より三十年前の鏡花作品『婦系図』をとりあげ、あれは鏡花が、師紅葉への反抗であり、謹んで復讐した作品である、鏡花にとって紅葉は「人の恋路を邪魔する」存在であった……という意味のことをいって、文壇をおどろかせ、鏡花をかんかんに怒らせた。同じ金沢の出身でありながら、また同じ紅葉の門でありながら、秋声と鏡花、たがいの増悪反感は、明治・大正・昭和と三代にわたっていった。片や、自然主義の最高峰であり、片や日本耽美派の最長老でもあるふたりの対立は、まさに宿命的なものであった。
 ふたりの長年にわたる確執の深さは、私小説作家である秋声の作品によってわれわれもまざまざと知ることが出来る。しかし、それはともかく、湯島の白梅の名によって、あまねく大衆に流布されている作品『婦系図』のいったいどこが問題になったのであろうか。
 明治四十年、「やまと新聞」に連載された「婦系図」は、その前編では、主税(鏡花)とお蔦(すず夫人)との仲を、酒井(紅葉)のために裂かれたるところにクライマックスが置かれてある。いわゆる生(き)世話の世界ともいえそうだし、自分たちがモデルである、というところから見ると私小説的な作品ともいえる。ところが、後編になると、舞台は一転して、静岡や久能山になる。今は学者であるが、かつてはスリ(酒井先生によって改心し勉強)であった主税(ちから)が、時の権勢家河野の醜い野望を打挫くために、また、師の娘妙子を救うために、社交界の婦人となっている河野のふたりの娘を誘惑してしまう。そして、最後に河野と久能山上で対決、河野をして絶望させ、自殺にまで追いやってしまうというストリーである。
 つまり、前編と後編との世界が、あまりにも異質にすぎるのだ。そこで、もし、この前半部を重要視すると、秋声が述べたように、鏡花の師紅葉に対する復讐の作品、と呼ぶことも出来そうである。しかし、後編にこそ作品のポイントがあったとすると、鏡花びいきの久保田万太郎のように、「これはあやまった家族主義に対する反抗である。」といえてくる。たしかに、鏡花とすずは、お蔦と主税同様に別れる。しかしそれは、紅葉の死ぬ半年ほど前のことである。紅葉の死後、ふたりはもちろん天下晴れての夫婦になった。紅葉の死を痛む鏡花は、ひと通りではなかった。しかし一方、これですずと添いとげることが出来ると、心のどこかでほっとしたものがあった。一方で悲しみながら、一方では喜ぶ、複雑な心理だが、人間ならば、多かれ少なかれ、だれしもがこのような矛盾はあるものであって、とくに怪しむには足りない。

 『婦系図』では、師の酒井が、主税と別れたお蔦に「折目のつかない十円紙幣三枚」を手渡している。しかし、実際に紅葉が手切れ金のような形ですずに与えたのは、三分の一の十円であった。それで、角川文庫『婦系図』の巻末では、解説者勝本清一郎が、秋声と同じように、この作品は、鏡花の、師の仕打ちに対する復讐であるとし、そして、この手切れ金についても、師の金の出しっぷりの少ないのを非難したのだ、という意味のことをいっている。しかし、これは反対の解釈も出来る。すずに十円しか与えなかった、というのは、紅葉の日記にだけ記されてあるだけのことで、一般読者は知らないのである。したがって、おそらく読者は、酒井が三十円出したのだから、モデルの紅葉も、すずに対して多分そのようにしたのであろうと思ったはずである。その意味では、なおいっそう師を美化したものだとも解せる。

 また、その前編において、義理と人情の生世話を描いたものではあっても、だからといって、お蔦と主税のことばかりが書かれているわけではない。主税と、恩師酒井の娘妙子との清らかな愛情の世界もあれば、河野一派の奸計と戦う後編の伏線もすでに現われてきている。さらに、『婦系図』といえば、おおかたの人が連想する湯島の境内の場であるが、あれは実は原作にないことである。』

泉鏡花作品解説集13へ続く

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