泉鏡花作品解説集13

泉鏡花作品解説集12の続きになります。清水書院から1966年に出版された「泉 鏡花 人と作品」に掲載されている解説は、主立った作品が書かれた時代背景や、泉鏡花自身が作品を書くにあたっての人生の背景を仔細にまとめてある好著です。以下、『』内の文章は左記の本からの引用となります。泉鏡花の研究の一助になれば幸いです。

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 婦系図解説の続きです。

『それが上演されたのは、翌四十一年の九月、柳川春葉の脚本で、新派俳優喜多村緑郎のお蔦、伊井蓉峰の主税という上演であった。鏡花は、この『婦系図』の感想を、その年の「新小説」の十一月号で、

 「喜多村のお蔦は申し分がない。一体原作では、殆ど菅子が女主人公で、お蔦はさし添ひと云ふのであるから、二人引受けるとなら格別、お蔦だけでは見せ場はなからう、と思ったが、舞台にかけると案外で、まるでお蔦の芝居になつたり。……客の来た間を、日かげの身の、一寸湯にでもと云ふ哀れも籠(こも)り……」(「新富座所感」明四一・一一)

 と、述べている。つまり、鏡花が『婦系図』を執筆したときの心づもりでは、憎い敵役河野の娘、菅子をもって主人公と設定したというのである。お蔦と主税を主人公としたものではない、ということは、つまり、自分たち夫婦がモデルになっているという部分は少いということで、従って、師紅葉に対する復讐云々というつもりはない……ともとれる。
 紅葉の死後、その遺族の困窮に際して、愛弟子鏡花が積極的に援助の手をさしのべなかったという非難は、理由のないことではない。しかし鏡花が、生涯紅葉を神とも仏とも崇敬して、また親以上の恩人として感謝の念を抱いていたのも事実である。鏡花の書斎には、古びた紅葉の写真と、紅葉全集が整然として飾られてあった。毎朝、仏壇の位はいに向かって手を合わせ、なにか到来物でもあると、まずはじめに、お初を紅葉の前に捧げるのであった。鏡花の晩年の随筆には、しばしば紅葉との思い出が、なつかしげな心情によって述べられている。あれこれの批判はあるが、その師弟の情愛は、たとい前近代的な間柄ではあっても、他に例のない美しいものであった。

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 ~中略~

 鏡花は、後単行本として出版するに際しては、「早瀬主税の遺書」という部分をつけ加えたのであった。遺書の一通は恩師の酒井宛、他の一通は、主税が、自殺に追いやった河野英臣の遺児、そして友人の英吉にであった。そして、英吉宛の遺書には、……自分(主税)が、河野家の暗い秘密(娘の道子が、河野の実の娘でなく、馬丁と、英臣夫人の間に出来た不義の子であるという事実)は、あれは単なる風説にすぎなかった。また、きみ(友人河野英吉)の姉二人(道子・菅子)と自分が姦通したというのも実のことではない、だから、きみは、阿年のお二人の貞操を疑ってはいけない……。と大詰、久能山上の対決で、主税の打明け話を、主税自身の遺書を通して否定させている。

 「英吉君、能ふべくは、我意を体して、より美く、より清き、第二の家庭を建設せよ。人生意気を感ぜずや……」

 というのが、遺書のおわりである。
 鏡花が、なぜ、単行本発刊に当たっては、主税と道子・菅子との情事を否定したのか?……いまだに評者のさまざまに評するところとなっている。仲には、その筋(官憲筋?)からの強い達し(つまり言論統制の一種)を受けて、書き加え、あらためたのだという説もあるほどである。また、前半の生世話の世界、後半の伝記物語の世界とのアンバランスを訂正するため、いってみれば、後半久能山上の対決の要素を薄くして、写実の世界に統一しようとしたのだという解釈もある。
 ところで、読者の立ち場になったら、どちらの場合がすんなりと受け取られていくだろうか?ということである。主税が、いくら、権勢家や世俗一般の結婚観を正すための方便とはいえ、お蔦のようないじらしい恋人がありながら、道子・菅子と通じるということは、とりわけ女性読者にとっては耐えられない点であろうと思う。』

泉鏡花作品解説集14へ続く

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