島木健作が語る中原中也3

島木健作が語る中原中也2の続きです。河出書房から1939年に発行された島木健作の「随筆と小品」の中には、中原中也に寄せた随想が掲載されており、彼の最晩年の姿が書かれております。以下、『』内の文章は左記の随想を現代語訳し引用したものとなります。このコラムも今回で最後になります!おつき合い下さった皆様、ありがとうございました!中原中也の研究の一助になれば幸いです。

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『私の短篇集があったら、とのことであった。私は、「見せるようなものはない。」と言って躊躇していた。そのまま二人はしばらくだまっていた。すると氏は、「どこにあるんです。」と怒ったような声で言って、広くもない私の部屋のなかを見まわすようにした。それで私は自分の本を三冊取って、渡さないわけにはいかなかった。
 それはまだ暑い時分のことであった。そしてやや涼しくなって、その次に来た時には、氏は一見してそれと知れるほど病んでいたのである。氏はその時、ランボオ詩集を持って来てくれたのだった。顔が青白く、ややむくんでいて、眼にも力なく、歩行もいくらか困難のようであった。医者は痛風と言ったとて、手や足のある部分の関節がふくれているのを私に示した。この手なども、水仕事でもしたあとのように白くうるけたような色艶であった。「酒を止めなければ治らぬのです。」氏はそう言っていた。帰りしなに、杖をついて行く氏の後ろ姿が、いかにも大儀そうなので、見送っていた私は何か言った。氏は振り返って、黙って笑ってそれに答えた。それが生きている氏の姿を見た最後であった。
 氏の訃は丁度それから一ヶ月後のことであった。疾風のように来て、氏の命をうばった病と、さきの痛風との間にどのような関係があったのかを私は知らない。

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 血を吐くような 倦うさ、たゆけさ

 今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り

 睡(ねむ)るがような悲しさに、み空をとおく

 血を吐くような 倦うさ、たゆけさ

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 今年の夏ラジオが、今日の詩人の詩の紹介と解説をやった時、中原氏の作としてえらばれた「夏」を、草野心平氏が朗読した時のことを憶い出す。私は裸で、縁側に腰かけ、飛びついてくる蟲を手にひねりながら、その詩の朗読を聞いた。暑さのせいばかりではなく、私は息苦しいほどのせつなさに心をおされたのであった。』

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