正宗白鳥が語る夏目漱石2

正宗白鳥が語る夏目漱石1の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の夏目漱石論を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。夏目漱石の研究の一助になれば幸いです。

スポンサードリンク

『私は、最近、菊池寬君の「新珠」など、二三の通俗小説を読破したので、連想がそれ等の小説に及んだが、藤尾や糸子、あるいはニ三の青年の如き男女を表現している点では、むしろ、菊池君などの方が傑れているのである。わが佛尊しと見る偏見を離れて見るがいい。「虞美人草」の小説部分は、通俗小説の型を追って、しかも至らざるものである。……しかし、漱石の大作家たる所以は、その通俗小説型の脚色を、彼独得の詩才で磨きをかけ、十重二十重の錦の切れで包んでいるためなのであろう。私の目には、あまり賞味されない色取りであるが、他の多くの人々は、その錦繍の美に眩惑されるのであろう。美辞麗句が無限に続いているように思われるのであろう。
 馬琴は「餓えたるものは食を選ばず、逃ぐるものは道を選ばず、貧しきものは妻を選ばず」と言ったような、格言じみた気取った文句で、一回一章を書きはじめることがあったが「虞美人草」は、こういう癖を有っている。「蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は激烈なる生存のうちに無聊(むりょう)をかこつ…」(十一回)「貧乏を十七字に標榜して、馬の糞馬の尿を得意気に詠ずる発句と言うがある…貧に誇る風流は今日に至っても尽きぬ」(十二回)などの書き出しは、今日の読者には、古めかしく思われるだろう。宗近と妹との対話、藤尾と母親との対話など、サクリサクリと歯切れがよくって、なかなか巧みなのだが、例の説明の邪魔が入るので、折角の興が醒まされ勝ちになる。
 要するに「虞美人草」は、最初の新聞小説であるがために、雑誌に掲げられるために執筆されていたそれまでの小説とは、作者の心構えが自ら異なって、そこに作為の眼が現われ、作者の欠点を暴露することにもなったのであろう。何としても冗漫だ。新聞の読者がよくもこういう長ったらしい随筆録漫談集を、小説として受け入れて、辛抱して読み続けたものだと、不思議に思われる。今日の時世では、朝日新聞のような新聞でも、こういう長篇小説を安んじて掲載していられないであろう。
 私は「三四郎」という小説を、半年ほど前にはじめて読んだのであったが、それは「虞美人草」ほどに随筆的美文的でなかったに関わらず、一篇の筋立てさえ心に残っていない。読者を感激させる魅力のない長篇小説を読過することのいかに困難なるかを、その時感じたことだけ、今思い出している。

スポンサードリンク

 

 森田草平氏の「煤煙」が朝日新聞に連載されて、評判になっていた時分のことである。ある日、私は、博文館の応接室で、田山花袋、岩野泡鳴両氏と雑談に耽っているうち、談たまたま「煤煙」の価値に及んで、誰かが非難の語を挿んでいたが、
 「しかし、漱石の比じゃない」と、泡鳴は例の大きな声で放言した。
 「それはそうだね」と、花袋は軽く応じた。
 私は、黙っていたが、心中この二氏の批評に同感していた。「漱石の比じゃない」という評語を今日の読者が読んだら、「草平の作品は漱石には及びもつかない」という意味に解するかも知れないが、あの頃なら、その評語は「煤煙は、評判ほどのものではないにしても、漱石物のような詰まらないものではない」という意味に受け入れられるのであった。それほど、あの頃の漱石は、一般読者には盛んに歓迎されていたに関わらず、文壇からはおりおり侮蔑の語を投げられていた。
 泡鳴の如きは、最も勇敢に漱石や鴎外を蔑視して、「二流作家」呼はりをもしていたのであった。

 人間の栄枯盛衰、毀誉褒貶(きよほうへん)の定めがたきことは、ここにもよく現われているので、漱石の作品は死後年を追うて、ますます世上にのさばり返って、泡鳴の作品は、この頃たやすく手に入れることの出来ないくらいに埋没されている。それは、作品の真価のもたらす自然の結果なのであろうか。
 私は断じてそうは思わない。私自身の好悪を別にして、漱石の蔚然(うつぜん)たる大作家たることは否定し得ないのであるが、しかし、泡鳴が漱石などとは異なった素質を有った傑れた作家であったことも否定し得られないと思う。泡鳴の作品は今日の一般の読者に認められるべく、あまりに深いところを持っているのではあるまいか。』

正宗白鳥が語る夏目漱石3へ続く

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です