正宗白鳥が語る夏目漱石10

正宗白鳥が語る夏目漱石9の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の夏目漱石論を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。夏目漱石の研究の一助になれば幸いです。

『「門」のはじめの方に、「いくら容易(やさしい)字でも、こりゃ変だと思って疑り出すと分らなくなる。此間も今日の今の字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った様な気がする。仕舞には見れば見る程今らしくなくなって来る」と宗助に言わせているのが、こういった感じは、私もおりおり経験することがある。日常の茶の間ばなしのうちにこんなことを言わせて置いて、最後に迷いを晴らしに禅寺へ行くのが、宗助の人となりとしてそう不調和でないように仕組んでいるなんか、この作者が脚色に抜け目のないことが察せられる。兎に角、構成の才は充分に有っている人なので、戯曲を書こうと思えば書けた人なのである。
 この頃激情で上演用の新脚本に欠乏しているため、盛名ある漱石の小説の戯曲化が流行しだした。「猫」のような、どこから見ても芝居にならないものまでも脚色しだした。やがて、彼の他のいろいろな長篇小説が戯曲化されるのではないかと危ぶまれる。生前の漱石は夢にも思わなかったことで、芝居嫌いの彼が、地下で聞いたら、作品の神聖が傷けられたようにいやな顔をするだろう。
 しかし、彼の新聞小説には、お芝居じみたところがあるのだ。探偵小説じみたところもあるのだ。彼は、探偵という者を嫌っていたに関わらず、探偵小説を書き得る素質をも有っていた。「彼岸過迄」は、殊に探偵小説らしい分子に富んでいる。

 彼は、「門」を書いた後に大病に罹って、暫く新聞小説の筆を絶っていた。責任感の強い彼はお雇い作家としての義務を怠っていたことを心苦しく思っていたらしい。「久し振りだから成るべく面白いものを書かなければ済まない」という気になっていた。俗受けを顧慮する気持ちが不断にも勝っていたことは、「彼岸過迄」に添えられた序文を読んでも察せられる。森鴎外が、日日新聞に於いて、平然として、あの非通俗甚だしい考証的史伝を、書き続けた気持ちとは大いにちがっている。
 私は数年前に一度通読したことのあるこの長篇を、今度読み直した。この小説は、この作者のどの小説よりも手の込んだもので、漱石の頭脳がいかに複雑に回転するかに驚かれる。前半の探偵趣味浪漫的探偵趣味、「以上に対する嗜欲」の発揮は、彼が愛読していたらしいスチーヴンソンなどから、暗示された啓発されたらしく思われるが、理智に於いてスチーヴンソンより優れていた彼は、「新アラビア物語」や、「宝島」の作者のように、「異常」や「冒険」に陶然として心を浸しただけではいられなかった。自分で作った夢を、自分で破っている。ここには、鏡花趣味も含まれているが、漱石は白昼にタハイのない夢を見て、そこに安んじていられなかった。蛇頭を彫った異様な洋杖でも、女占い者の神秘らしい話しでも、条理明晰に取り扱われている。鴎外や漱石の小説を通して見る人生には、神秘不可解の影はないので、外の作者は知恵が足りないからそんなものを感じるのではないかと思われる。

 「話しが理窟張って六ヶしくなって来たね。あんまり一人で調子に乗って饒舌っているものだから」と、作中の人物に言わせているのは、作者自身、あまりに独りよがりの心理解剖をし過ぎているのに気がついたための申し訳であって、「右か左へ自分の身体を動かし得ない唯の理窟は、いくら旨く出来ていても、彼には用のない贋造紙幣と同じ物であった」と、他の人物に言わせているのも、作者自身読者の思惑を気にしたための照れ隠しであろう。
 しかし、この小説のうちの「須永の話」は、今度も面白く読んだ。「虞美人草」の藤尾は、着物は派手に出来ているが肉体が作られていない。「それから」の三千代は、影が薄い。「門」のお米は日陰の女らしく描かれているが、女性としての神経が通っていないような感じがする。…私は、「須永の話」を中心とした「彼岸過迄」に於いて、はじめて、漱石の頭から描きだされた潑剌たる女性を見るのである。それほど千代子はよく描かれている。温かい肉体を備えてそこに鮮やかに浮き出している。彼女に対する須永の嫉妬焦慮の気持ちも読者の胸に迫る力を有っている。今までの漱石の作中には現われていなかった気持ちである。私は漱石の人生観察心理解剖が、一作毎に深くなって行くのを感じる。彼は新聞小説を職業としたために、余儀なく人生研究に目を向け、その結果が自己の修養になったのである。』

正宗白鳥が語る夏目漱石11へ続く

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