正宗白鳥が語る夏目漱石11

正宗白鳥が語る夏目漱石10の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の夏目漱石論を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。夏目漱石の研究の一助になれば幸いです。

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『こういう性質の須永が千代子に対してこういう態度を取ったと言うだけで、一篇の好材料になる訳だが、この作者は、例の如く二重にも三重にもひねくって、須永をある不幸な運命の下に置かれた男として、そこに須永の性癖の由って来たる原因を索った。
 鎌倉で小鰺の一塩を食うことから、ふと話しの筋を引き出して「是れはまた誰にも話さない秘密だが、実は単に自分の心得として、過去行くねんかの間、僕は母と自分と何処がどう違って、何処がどう似ているのか詳しい研究を人知れず重ねたのであるー欠点dも母と共に具えているのなら、僕は大変嬉しかった。長所でも母になくって僕だけ有っていると甚だ不愉快になった。そのうちで僕の最も気になるのは、僕の顔が父にだけ似て、母とはまるで縁のない目鼻立ちに出来上がっている事であった」という須永の話を読むと、読者は作者のからくりに気がついて、また例の趣向かと微笑されるのである。
 果して、須永は現在の母親の実の子ではなくって、早逝くした父親が小間使いに生ませた子であった。しかし、続けて読んで行くと、この事実が、そうした痛ましい世相として読者を動かすほどには描かれていなかった。むしろ、須永出生の秘密に関する追窮はいい加減にして、千代子との交渉をもつと発展させて小説を進めた方が面白かったのだが、それは漱石は、企てて、も為遂げ得なかったかも知れない。

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 「彼岸過迄」の須永と言い松本と言い、「それから」の代助と言い、「心」の先生と言い、その他の作品中の某々など、漱石の小説には、可成の資産を有っていて遊んで暮らしている高等遊民が多い。知識があって、暇があるのだから、ともすると、丹念に自己解剖に耽るのである。そして、作中の老人は、詩会へ行ったり骨董を翫(もてあそ)んだり謡曲をやったりする。今日の文壇で盛んに論争されている社会意識は、彼の小説には殆ど現われていないと言っていい。しかし、彼が、今日の世に働いていたなら、聡明なる見解をもってそれを取り扱っていたであろう。鴎外には、共産主義に関する歴史的研究をはじめたが、はじめたばかりで倒れた。彼は旺んな知識欲によってそういうものを研究はしても、盲目的に詩の流行に附随しなかったに違いなかった。「善とは家畜の群のような人間と、去就を同うする道にすぎない。それを破ろうとするのは悪だ。善悪は問うべきではない。家畜の凡俗を離れて、意志を強くして貴族的に高尚に淋しい高いところに身を置きたいというのだ。その高尚な人間は仮面を冠っている。仮面を尊敬せねばならない」と言ったようなほこりを彼は有っていた。しかし、漱石はもっと平民的であった。鴎外よりも豊かな芸術的天分は有っていたが、周囲を顧慮するところがあった。「成金の乱行を見ると、強盗が白刃の抜き身を畳に突き立てて良民を脅迫しているのと同じような感じになるのです…僕は是程臆病な人間なのです」と、言うような須永の手紙の文句も、必ずしも作中の人物だけの心持ちではないかも知れない。

 「心」には、今までの作品のうちにも微見(ほのみ)えていた憎人厭世の気持ちが最も強烈に出ている。憎人厭世が自己嫌悪に達しているのである。「私は個人に対する複雑以上の事を現にやっているんだ。私は彼等を憎むばかりじゃない、彼等が代表している人間というものを、一般に憎むことを覚えた」と言っている作中の人物は、ついに自分自身の憎さに堪えられないで自滅した。漱石の人間研究の最頂点に達したものと言っていい。そして此処には例の美文脈が全く痕を絶っている。警句や諧謔がたまにあっても、「猫」や「虞美人草」時代のような作者自身面白がっているような洒落や警句とはまるで違っている。厳粛である。陰鬱である。私の読んだ範囲内に於いては、この一篇が彼の小説のうちで、最も通俗味の乏しいものである。読者の好奇心を惹こうとする脚色ぶりは例の通りであるが、小細工はしないで、平押しに押して行っている。「私」と言う青年に取っての参考になると「先生の遺書」に言っているのが、青年の田舎の家庭の状況に照らして、何となく適中しているようでもあるし、田舎の老父の重患と、「先生」の自殺とが対脈的に人間の生存について読者の思いを致させるような書き振りは、彼の他の小説のわざとらしい趣向とは且つ別の相違がある。』

正宗白鳥が語る夏目漱石12へ続く

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