正宗白鳥が語る夏目漱石12

正宗白鳥が語る夏目漱石11の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の夏目漱石論を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。夏目漱石の研究の一助になれば幸いです。

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『「悪い人間という一種の人間が世の中にあると、君は思っているんですか。そんなに鋳型に入れられたような悪人は、世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人ななんです。少なくともみんな普通の人間なんです。いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいんです」という、この一篇の結晶として見るべき言葉を、前に引用した鴎外のほこりとしていた仮面説と比べて見ると面白い。両者は相反しているようなところもあり、似通っているようにも思われる。「仮面」も、大学生である一人の青年に向かって、主人公の信念が語られ、「心」も、大学生である一人の青年に向かってだけ、主人公の生死の秘密が洩されている。ところで、鴎外はほこりを有って、青年の蒙を啓く如くに語り、漱石は、「先生」をして妻にさえ言わない心底を、歪曲を尽くして、青年にだけ語らせながら、「最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残っているのは必竟時勢後れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」とか、「あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは個人の有って生まれた性格の相違と言った方が確かかも知れません」とか、自己の強烈なる信念の発露についても、謙遜させている。漱石には執筆にあたって、移り行く周囲の風潮を顧慮するところがると、私が言った所以である。
 「彼岸過迄」には一端を現わしていただけの嫉妬が、「心」に於いては、最も熱心に追窮されている。財産に関する暗闘、親類縁者の反目、嫉妬、孤独感などが、在来の彼の作品に見られないほどに強く、陰鬱に書かれている。いろいろな人々の心理を研究して、ついにどん詰まりまで来たようなものである。

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 そこで、彼は、「心」の次には、「道草」を書いた。この小説は彼の自叙伝らしく思われるが、この自叙伝小説を読むと、今までの彼の小説の人物について思い当たるところが少なくない。「道草」読後感は、私は去年読売新聞に掲げている。
 最後の大作「明暗」は、永久に未完のままで残されている。結末に近づくほど波瀾を起こさせるのが、彼の創作の慣例になっているので、「明暗」は、どう発展して完結するのか、読者には想像がつかないのみならず、作者自身の意図もハッキリしていなかったのじゃないかと思われる。そして書き残された範囲に於いての「明暗」は、少し箍(たが)がゆるんでいるような感じのする作品である。運びがまどろこしく退屈だ。しかし、お延とお秀などの女性は、よく描かれている。これまでの彼の小説には、多くの女性は、断片的に現わされているか、あるいは型に入ったような現実味を欠いていたが、お延とお秀と、吉川夫人とは、充分に現実の女らしい羽を拡げて羽叩きしている。
 「真昼間提灯を点けて往来を歩くのは、世の中の暗黒な所を諷した皮肉な仕事と取れば、取れないこともあるまいが、一方から言えばm鬢をつけて花見をすると同一の気楽さから出ないとも限らない。花見の趣向などは現在に満足を表す程度の尤も甚だしいもので、不平や諷刺の表現でないことは明らかである。現に「ドンキホテ」なども、多数の評家は諷刺と見ているようだが、私には花見の鬢同様な感がある。」

 漱石はこう言っている。我々が彼の作品に対して、事々しき穿鑿(せんさく)を試みるのも、花見の鬘同様なものに殊更らしく深刻な意味を附することのように、彼には思われるかも知れない。
 ところが、漱石自身は、「明暗」に於いても、小うるさいくらいに、心理の穿鑿に従事している。
 作中人物は、そのために作の進行がのろく、且つ実感が水っぽくなるのである。人物の筋肉の微動にも、一ページも書き続けられるほどにその人の心の表現が籠もっているらしく見られるのだ。漱石の面前では、うっかり痒いところをちょっと痒く訳にも行かないようである。
 しかし、「明暗」には、我々が日常見聞している平凡な現実生活の真相が多分に出ている。書き残されている範囲内で言えば、異常な事件がない。この作者には免れたい癖であったロマンチクな取扱い振りがない。詩がなくなっている。「三四郎」よりも「門」よりも、どれよりも平凡な筋立で、人物も事件もそこらにありそうに思われる。兄嫁と小姑、若夫婦をつついて喜んでいる意地悪い中年女の交渉は、微細に渡って実相が描かれている。私は「明暗」まで読んで、はじめて、漱石も女がわかるようになったと思った。老いたる彼は、もう「草枕」にあるような詩的女性を朦朧(もうろう)と幻想し得られなくなったのであろう。鏡花式の夢から醒めて現実を見るようになったのであろう。それ故、「明暗」は、運筆の点では作者老衰の兆しが見えるにしても、意義のある作品たることを失わない。』

正宗白鳥が語る夏目漱石13へ続く

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