正宗白鳥が語る夏目漱石13

正宗白鳥が語る夏目漱石12の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の夏目漱石論を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。このコラムも今回で最後になります。読んで下さった皆様方、ありがとうございます。そしてお疲れ様でした!!!夏目漱石の研究の一助になれば幸いです。

『もう一つ面白いのは、この最後の小説のなかに、小林という皮肉ないやがらせを言う変な男が抛(ほう)り出されていることである。ニルアドミラリの域に達しているという「それから」の代助にちょっと似ているところがあるが、代助は、要するにブルジョアのノラクラものである。小林は、卑俗であるが、自棄的闘志を持っている。プロレタリア意識をもってブルジョアに反抗している。有産階級が彼を侮蔑するなら、彼も有産階級を侮蔑してやる。復讐してやるという反抗心を有っている。漱石の作中に、皮肉揶揄反抗の気分は珍しくないが、プロレタリア意識を持った皮肉揶揄反抗は珍しい。
 彼の作品の殆ど全部を読み去り、読み来った私は、最後の「明暗」に於いて、こんな人間が、水に油を点したようにぽつりと現出しているのに、甚だ興味を感じた。漱石としては、柄にない人物を創造した訳で、取り扱い方も上手ではない。しかし、社会主義か共産主義か、そういった仮色を使う人間を、ブルジョア仲間へ割り込ませたところに、時代に関心する作者の気持ちが分るように思われる。
 兎に角漱石は凡庸の作家ではない。私は未完の大作「明暗」の最後の一行を読み終わって、この作者の一生を回顧して。そして、例の「縹紗玄黄外、生死交謝時、沓然無寄託、懸命一藕糸…」という彼の病中の詩を思い浮かべた。
 今夜は浪の音が高い。(昭和三年四月十八日 大磯にて)

 右の如く漱石論を書いてしまったところへ、手許に書物がなかったために読み落とした「行人」がふと手に入ったので、ついでに速読することにした。
 例の如く読者をもどかしがらせる小説であるが、前半は読者を惹きつける力をもっている。弟に対する兄の疑惑には深刻性が含まれていて、弟と兄嫁とが暴風雨の夜和歌山の宿に泊るあたりは、異常に、緊張しているが、それから後は、甚だしく気が抜けている。中心を逸して、徒(いたずら)にまわりを廻ってばかりいるような小説である。くどくってまどろこしくて、読後の感銘が甚だ薄い。漱石にも似合わしからざる小説である。彼の哲学観宗教観が窺われないこともないが、それが乾燥無味な叙述に終わっている。この長篇執筆中、作者は病気をして一時稿おw中絶させているが、作品の不出来なのはそのためかも知れない。
 この小説は「彼岸過迄」と「心」の間に作り上げられたのであるが、これ等前後の作品と連関させて考えると、この作者がいかに、男女関係についての暗い心理に思いを致していたか、またそういう暗い気持ちから脱却するためにはいかに苦闘しなければならぬかと、思いを潜めていたことが察せられる。…芸術として劣っていてもその点では興味がある。
 小宮豊隆君は、漱石の修善寺に於ける大吐血を以て、彼の生涯の転機としているが、それはそうかも知れない。しかし、大吐血後の漱石が前期の彼よりも、人生の見方が一層温かになり、一層寛大になったとは思われない。却って反対ではないだろうか。「心」「行人」「道草」「明暗」がそれを証明している。他人の心の暗さ醜さを傍観的に描いたというような空々しいものではなくって、これ等に現われているいろいろな疑惑は、作者自身の心に深く根を張っていたのじゃないかと思われる。そして、大病前の作品よりも洒落っ気が少なくて、一貫した真面目さがある。「坊っちゃん」時代の薄っぺらな明るさが影を潜めて、懐疑の深さが見られるようになった。
 「思出すことなど」のうちの病床感想に、知友門下生愛読者などの好意に感激して、「世の人は皆自分よりも親切なものだと思った。住み悪いとのみ観じた世界に忽ち暖かな風が吹いた」と言い、「四十を越した男、自然に淘汰せられんとした男、さしたる過去を持たぬ男に忙しい世が、是程の手間と時間と親切を掛けてくれようとは夢にも待設けなかった余は、病に生き還ると共に、心に生き還った…」とも言っているが、こういう言葉は、大抵の病人が回復後起こす感傷語であって、特別に意味の深い言葉とは思われない。それに「さしたる過去を持たぬ男」と言っているのは、漱石の謙遜した言葉であって、若し彼が作家として名声を博していなかったなら、あんなに賑やかに彼の病床が顧みられよう筈はなかった。
 人間は気力の衰えた時には、年甲斐もなく、いやに感傷的な言葉を吐きたがるものである。「人の死せんとするや、その言うことや善し」と言うのも、畢竟は、気力の衰えをさすに過ぎないことがある。…「心」「明暗」など、漱石晩年の作品に、私は、彼の心の惑いを見、暗さを見、悩みをこそ見るが、超脱した悟性の光が輝いているとは思わない。(昭和三年五月)』

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