正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏2

正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏1の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の志賀直哉と葛西善藏を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。二人の研究の一助になれば幸いです。

『あの頃は、世間一般に自然主義系統の作品に嫌厭を感じていたためか、微温的な明るみある「白樺」一派の文学が、文壇に地歩を占めた。ことに、志賀氏はあの頃の新進作家の仲間に敬畏されていたようであった。広津和郎氏も、会うたびに、私に向かって、志賀直哉讃美の語を放っていた。芥川龍之介氏は、あれほどの才人でありながら、志賀氏の前へ出ると頭があがらなかったということも、この頃聞いた。去年芥川変死の後間もなく、軽井沢に私を訪ねて来た某氏の話によると、志賀氏は、芥川氏の作品をも人となりをも、あまり好まなかったそうだ。それ故、面と向かって芥川氏から敬意を表せられる時には返答に困ったそうだ。私はその話を聞いた時、「何だ。芥川は志賀なんかに対して引け目を感じる訳はないじゃあないか」と、口に出かかるのを危うく圧(お)さえた。それから、自分を軽視している人の前でその人を讃美することの、如何に頓間(とんま)であるかをも考えた。…一昨年の一月であったと記憶しているが、「新潮」の合評会に私は出席した。その時花袋氏も芥川氏も出席していたが、志賀氏の「鶴」という小品を、花袋氏は特に推賞した。「いい日本絵である」という意味の評語が下されたようだった。私が何とか言って非難すると、芥川氏はその非難を不当とするようなことを言った。今度読んで見ると、この小品は、成程、茶室掛けに相応しい絵である。龍之介はこういう作物に現われている風韻(ふういん)に傾倒していたのであろうか。
 こういう芸術味は、感覚の粗雑になった今日の文壇では味われなくなっている。しかし、「白樺」派の盛時に於いても、多くの青年読者は、志賀氏の持っていた風韻や雅致(がち)を賞味していたのではなくって、むしろ、彼の作品の中の一つの特色となっていた所謂「人道主義」といったような思想感情に共鳴を覚えていたのであろう。「十一月三日午後の事」という小品の如きが好個の代表作である。

 
 「十一月三日午後の事」が発表された時、その月の雑誌月評を読売新聞でやった和辻哲郎という人は、この小品を極度に賞讃して、この宝玉のような傑作の前では、他の雑誌小説は瓦礫のようだとでも思ったらしく、他のすべてを黙殺したことがあった。文学その他の芸術については、異性に対すると同様に、好きとなると、盲目的に好きになるもので、そこがまた面白いのである。志賀氏のこの小品が、当時迎えられたのは、そこに「人道主義」「非軍国主義」の感情思想が現われているためであった。田舎道を鴨を買いに行った主人公が、途上で兵隊の演習の苦労を見て心を動かして、「自分は一人になると又興奮して来た。それは余りに明らか過ぎる事だと思った。それは早晩如何な人にもハッキリしないではいない事がらだ。何しろ明る過ぎる事だと思った。すべては全く鞭から来ているのだと思った」と、現今の軍事組織を憤慨して、家へ帰っても、折角買って来た鴨を殺すことは勿論、自分で食う気もしなくって、他所へ送ってやったというのが、この小品の要点である。この小品は、田舎の秋の街道の光景を叙し、演習の片影を叙し、それに触れそれに離れる主人公の微妙な気持ちをまつわせて、味いの深い純芸術品をつくり上げている。私は、今度も愛読した。しかし、和辻という人などの感服したような非軍国主義の現われに感心したのではない。軍国主義の非難は、談何ぞ容易ならんやと思う。小説家が秋のそぞろ歩きに二三の兵士の苦労を見て感傷的感慨を起こしたくらいで、国家の大事が極められるものではない。
 「すべては全く無知から来ている」と言っても、実際について深くしらべたら、どちらが無知か分ったものじゃない。由来詩人芸術家は、あわれみの情に富んでいるので、他の苦労を見るに忍びないのだからこの小品には、その詩人らしい美質が現われていいのであるが、しかし、その思想を実際界に当て嵌めて卓見視するのは幼稚である。
 当時の青年批評家が「卓見」視した志賀氏の思想は「山形」という短篇や「和解」という長編や、その他の小品のなかにも、おりおり微見えているが、しかし、十年足らずの間に時代の思潮は変わって、今日の青年読者や青年批評家には、志賀氏の社会観などは微温的なものとして冷笑されるようになった。もっと荒っぽく根本的でなければならぬと言われるようになった。』

風韻(ふういん)・・・趣がある様子。風趣(ふうしゅ)。
雅致(がち)・・・風流なおもむき。雅趣(がしゅ)。
叙する(じょ・する)・・・文章や詩歌に書き表すこと。述べる。または、順序に従い位階や勲等などを授ける。

正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏3へ続く

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