正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏3

正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏2の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の志賀直哉と葛西善藏を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。二人の研究の一助になれば幸いです。

『しかし、それは志賀氏の作品が価値を失った証拠にはならないので、芸術家たる氏の芸術を味わわないで、附属の思想を見るから起ったことなのだ。トルストイを廃物視するのも、粗雑な頭脳をもった一部の現代青年の愚昧な所業であって、トルストイのえらいところは、原始宗教観や無抵抗主義の説教にあるのではなくって、その芸術にあるのだ。今日のプロレタリア文学だって、一知半解の思想や理窟だけで、芸術としての価値を有っていなければ、明日は亡んでしまうのである。「十一月三日午後の事」にしても「小僧の神様」にしても、一幅の人生図として翫味(がんみ)していると、今日見ても、昨日見た時に劣らないほどの味わいが味わわれるので、十年や二十年で廃物になる訳がない。仮に、兵隊の演習が廃止される時代が来ても商店の小僧制度がなくなる時代が来ても、それ等の作品の妙味は失われないのである。文学は日常の実用品とは違う。
 同じ「白樺」派であっても、有島武郎氏の「生れ出づる悩み」と、志賀氏の「清兵衛と瓢箪」とを比較すると、この二人の作風が如何に異なっているかが分って、年少の徒の小説学研究の好資料になるのである。どちらも美に対して敏感な貧家の少年を題材としているのだが、武郎は、力を籠めた筆使いでゴテゴテと書いている。直哉は、いかにもアッサリ書いている。油絵と日本画の相違がある。武郎の油絵には、今春上野の博物館に陳列された松方所蔵の英国の前世紀の絵画に見られたような、鈍重さギコチなさがいくらか見られ、直哉の日本画には、昨秋芝の美術倶楽部で、山陽遺墨と共に陳列された武田の書帖にでも見られたそうな含蓄のある筆致が見られる。
 私の愛好する志賀氏の作品は、所詮はこういう短篇や小品の範囲に留まると言っていい。作者は「図本」の序詞に於いて「作者というものから完全に遊離した存在となっている」芸術を渇仰している。芸術の極致はそこにあるのかも知れない。楽屋落ちの興味によって辛うじて存在を保っているような瑣末な身辺雑記小説の如きは、芸術として、下の下なるものかも知れない。そして、氏の小品のうちには、作者から遊離した芸術の趣きの偲ばれるものがないでもない。
 「遊離」という言葉に、志賀氏はどういう意味を寓しているのか知らないが、私は、この言葉の意味を、自我を無視したものとして受け取らない。むしろ自我が完全にその作品に融和し尽くしたものと思っている。

 
 ところで、私は、志賀氏の自伝的小説にはあまり興味を有っていないのである。ある家庭ある社会の事相の記述として、多少の興味が寄せられないことはないが、それは敬意を持った興味ではない。傑れた芸術に対しての興味ではない。
 長篇「大津順吉」の甘さ賤さに、同人雑誌小説見たいな未熟を感じるばかりでなく、「ある朝」「鵠沼行」などの短篇にも、ある人の日常雑記以上のものは感じられない。この点では、葛西氏の身辺雑記小説のある者はまだしも読者を動かす力をもっている。そこには自ら生活苦が出ているからだ。
 私は、最初雑誌に出た時、非凡な小説のように言われて、文壇に珍重された、この作者の製作のうちでは長篇の部に属する「和解」にも、さほど感心しない。無論よく書かれているのだ。描写に於いて凡庸の作家の及ぶところでない。しかし、父子の争闘の根本が曖昧模糊の感じがする。こういう生活の余裕のある家庭では、お互いの我儘から、こんなことがあるという、客観的態度を、作者があくまで侍しているのではなく、作者は、こせこせと主人公たる自己をいじり廻しているので、作柄が小さくなっている。この主人公は、自分に接触した人物の瑣末な一言一行一挙一動を、自分勝手に解釈して、「いい印象を与えられた」だの、「不快だ」のと言っているのが、私にはせせこましく思われることがある。志賀氏は芥川氏のお辞儀の仕様にまで難癖をつけていたと、去年某氏が言っていたが、小説家には有勝ちの神経性によるおてゃ言え、「和解」には、これに類した煩わしさがある。』

一知半解・・・なまかじりで、知識が十分に己のものになっていないこと。一つの事を知ってはいるが、半分しか理解していないこと。
翫味(がんみ)・・・食べ物をよくかんで味わうこと。又は、言葉や文章などが表している意味や内容などをよく理解して味わうこと。

正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏4へ続く

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