正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏6

正宗白鳥が語る志賀直哉と葛西善藏5の続きです。1932年に中央公論社から出版された正宗白鳥著「文壇人物評論」の志賀直哉と葛西善藏を現代語訳した上、左記の本から『』内において引用しております。また、このコラムも今回で最後になります。おつき合い下さった皆様、ありがとうございました!二人の研究の一助になれば幸いです。

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『しまいの方で、全盛でない方の友人を訪ねて、自棄(やけ)の戯談をお互いに取りかわしたりしているあたりからが面白い、細君に逃げられたその友人と、急を要する金の工夫のつかない上に、九度近い熱の出ている彼とは、喰い散らかした佃煮などを肴に、金持、才能、名誉、美、芸術、健康、女性――そう言ったすべてのものに口から出任せの罵倒を浴びせて、痛快を叫んだ。あらゆる者に向かっての罵倒のはてが、今度は二人の間の罵倒となるのが面白い。不平不満、胸のもだえの極は、互いに他を罵っただけでは収まりがつかないで、面と向かった二人が互いにぶつっかり合いでもしなければ、どうにもならなくなるのだ。
 「貴様は臆病者だぞ、卑怯者だぞ、巷に出ろ」と、だしぬけに友人が、主人公たる「彼」を叱咤する。
 「そう言うなよ。おれは病気じゃないか」
 「だから尚出るんだ。貴様の寿命なんか後幾ら持つものだ。おれについて来い。おれは原稿なぞ書いてやしないさ。糞骨折って、猶太人見たいな人間共に頭をさげて持ち廻るなんか真平御免だよ。…われは民衆に赴かん。…」
 昂然と言って、やがて、
 「K来い。角力を取るから来い。」
 「駄目だって言うのに、そんなことしたらおれは死ぬじゃないか」
 「死んだって構わない。生きとったって何になるか。さあ来い」
 「貴様は若い細君に逃げられたんで、おれに角力を挑む気なんだな。…よし、貴様なんかに敗けてたまるか」
 理由のない取組合いがはじまった。
 「貴様はおれを殺す気か。…参ったから放せ」
 「放さん。貴様のような病弱者はいつまで経ったって放さんぞ」
 「そんな乱暴なこと言わんで放して呉れよ。苦しい。おれはまだ血が出るよ。許して呉れ、…君許して呉れよ」
 主人公は半ば泣声になって、依然友人の咽喉を攻めながら言った。
 虐げられたる人の一生といった感じが、読後に油然として起って来る。「虐げられた」と言っても、それは、天才が衆愚に認められないで侮辱されているという意味ではなくって、才能の乏しい人間が藻掻いている苦しさが、傍人に侮蔑の目で見られることを私は意味している。「半ば泣声になって依然友人の咽喉を攻めて」いるのは、自ら葛西善藏の一生を表象した言葉である。力乏しくして書けないのに苦しみながら、なお相手(芸術)の喉から手を離さないで闘っているのである。

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 「女性はすべて邪悪で、涙にも媚びしにも、すべて死の毒を含んでいる」という女性観を真に痛感していたのなら、自分の鬱憤を晴らすためにも、小説の好材料としても、数十年の作家生活の間に、それこそ力を入れて書くべき筈なのに、そう言った女性の片影をさえ書こうとした形跡もないのは、不思議である。作者は果してそんな女性観を持っていたかどうか疑われるくらいである。たまに、彼の筆から出て来る女は、「死の毒を含んでいる」どころか、凡庸なお人よしである。そして、彼の周囲の男性にしても、どちらかと言うと、人がいいのである。彼の老父は、わが子と一しょに酒を飲んで、わが子に唄わせたり踊らせたりして悦しがる人間である。たびたび作中に出て来る彼の弟は、貧しいながらも、心力を尽くして、兄の世話をしている。志賀氏の身辺雑記風の小説のなかの人物の親しみが形式的に見えるのと異なっている。愚鈍の善良さが彼の作中の人物にはよく現われている。比喩が提灯と釣鐘になるが、彼の文学的面差しはドストエフスキーに少しは似ているのであろうか。それが彼の創作上の総財産である。
 「暗い部屋にて」は、彼が力をつくしていろいろな人間を書いたものだが、どうも抽象的で客観性に乏しい。「湖畔手記」は、彼の晩年の作品であるが、鈍重な筆にも錆を帯びている。心境と筆致がぴったり合ったいい作品である。「春」や「雨」や「歳晩」は彼の詩である。「寺の梅も堅いながらに最早蕾みを揃え、枯れ朽ちたとしか見えない牡丹の枝にも瑪瑙の牙のような芽を見せて、年を送り春を迎える用意が出来ているが、自分自身を顧みて見ると、北嶺に寒い姿ばかりで、南枝に香しい梅の面影と言ったようなものは、どこにも望まれなかった」と歎ずるなんか、文学者通有の感傷語で、私などは聞き飽きているのであるが、小説に現われているような葛西氏も、独居静座の折には、自然と自己を対照して、こういう月並みの感想に耽ったのかと思うと、新たなる興味が覚えられる。

 (志賀氏の「暗夜行路」は、前編だけはかつて通読して、読後感を述べたことがあった)(昭和三年八月二十五日軽井沢にて)』

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