坂口安吾語録

坂口安吾の言葉を河出書房新社の「文藝別冊 坂口安吾」などを参考にまとめたものになります。『』内は全て引用した文章となります。出典につきましては、後述してある「」内をご参照下さい。坂口安吾の作品を読むきっかけになれば幸いです。

『生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。』「堕落論」より

『自分の本音を雑音なしに聞きだすことさへ、今日の我々には甚だ至難な業だと思ふ。日本の先輩でこの苦難な道を歩き通した人を、西鶴のほかに私は知らない。』「枯淡の風格を排す」より

『大阪人はファルスと共に実生活しつつある唯一の日本人ですよ。』「安吾の新日本地理 道頓堀罷り通る」より 
この文章1951年に書かれているせいか、かつて坂口安吾が世話になった大阪出身の二人の存在、詩人である三好達治と同じ無頼派の織田作之助のことを思い出します。この時、既に織田作之助は亡くなっているため、特にオダサクに贈った言葉の一つのように感じてしまいます。

『私は悪人です、と言ふのは、私は善人ですと、言ふことよりもずるい。』「私は海をだきしめてゐたい」より

『「先生をやりこめて愉しかつたでせう」
 岡本の帰つたあとで、素子が言つた。
 ~中略~
 「僕のやり方が残酷だつたといふ意味かい。僕はもう僕自身に裁かれているよ。そのうへ君が何をつけたすつもりだらう。然し、僕はやりこめはしなかつたのさ。ただ、反抗しただけのことさ」
 「それでも、先生はやりこめられたでせう。先生のお顔、穴があいたといふ顔ね。人間の顔の穴は卑しいわ」』「女体」より

『(宝塚少女歌劇の魅力について)なぜなら少女自身が少女の意中の男子を表現しているからである。それは壮大で、正しくて、完全で、男が見ると泣きたくなるほどりりしいものだ。この上もなく健全な夢の世界である。そして、美しい。ヒゲの男子は一見すべし。』「明日は天気になれ最も健全な夢の国」より

『冬の広さを見ていると、俺は俺の存在が消えてなくなるように感じる……』「木枯の酒倉から」より

『お前の肩に切られた風が、不思議に綺麗な切断面を迸らせて、多彩な色と匂いとで僕の首(うなじ)を包んでしまう、僕は時たま噎せながら、不思議にそれを綺麗だと思った』「海の霧」より

『日本の古典、漢文の古典も一般の人々が現代語でねころんで味読しうるやうな様式、西欧の名著もあげて現代語に訳して、学生たちは言葉の解釈を習ふのでなく、物の実質を味得する要領で、その実質を学ぶことが学問だといふ、さういふ態度を確立しなければならない。』「新カナヅカヒの問題」より

『新らしい芸術は新らしい人々のために書かれてゐる。現実をたのまず自ら変化することを望む好学的な、そして私流の言ひ方で言へば、反逆的な、闘争的な、破壊的な人々のために書かれてゐる。純粋な青年のために書かれてゐる。』「新らしき文学」より

『どんな仕事をしたか、芸道の人間は、それだけである。吹きすさぶ胸の嵐に、花は狂い、死に方は偽られ、死に方に仮面をかぶり、珍妙、体をなさなくとも、その生前の作品だけは偽ることはできなかった筈である。』「太宰治情死考」より

『小説は、たかが商品ではないか。そして、商品に徹した魂のみが、又、小説は商品ではないと言ひきることもできるのである。』「大阪の反逆」より

『そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ』「続堕落論」より

『天才とは何ぞや。自己を突き放すところに自己の創造と発見を賭けるところの人である』「二流の人」より

『どうせ感情は人に最も稚拙なのです。芸術家は人間として稚拙なのです。それでいい。そうして、僕にとって、少年の稚拙さを失わないことは、寧ろ唯一の誇りだと思うのです。』「矢田津世子宛書簡・昭和8年11月18日付け」

『ゲーテがシェイクスピアの作品に暗示を受けて自分の傑作を書きあげたように、個性を尊重する芸術においてすら、模倣から発見への過程は最もしばしば行われる。インスピレーションは、多く模倣の精神から出発して、発見によって結実する。』「日本文化私観」より

『涙もあつた。溜息もあつた。笑ひもあつた。歓声もあつた。力もあつた。放心もあつた。悲哀もあつた。虚脱もあつた。怒りもし、すねもし、そして、愛し、愛された。』「道鏡」より

『風である。然り風である風である風である。』「風博士」より

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