阿部六郎が語る中原中也5

阿部六郎が語る中原中也4の続きです。1949年9月(昭和24年)に雑誌「文芸」にて発表された、阿部六郎の「詩の道程」を『』内に引用の上、下記に掲載しております。中原中也と交友のあった阿部六郎氏がの彼との思い出を交えながら、熱く解説した内容となっています。中原中也の研究の一助になれば幸いです。

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『それにしても数々の秘密は覗かれた。繊柔な感性と弾力に充ちた躍動は、自然と歴史と永遠の表面からも背後からも、豊富な映像と陰影と色と声調と観念と苦痛を吸ひ寄せ、彼の魂には密度の濃い美が凝集して、苦しいほど張り満ち、自在な運動か、危険な爆発を孕んでゐたらしい。とはいへこれも破り残された青年初期詩篇や彼の生き身の残響からの推測にすぎない。彼の少年時にどのやうな日々の祭典が行はれたか、どのやうにして彼の独創的な表現力が目醒め、とぎ澄まされて行つたか、破り捨てられた数百篇の詩がどのやうな冒険と石層の風景を陥没させて行つたか、跡かたもなく滅び去つた瞬間の秘密は知るよしもないのである。『山羊の歌』や『在りし日の歌』に残された初期詩篇といはれるものの中でも初期らしいものほど、何か無機的といへるやうな清潔な結晶を成してゐる。表現は強く外に向き、内省や迷ひを拒否して、断定的に放胆な投擲(とうてき)をやつてゐる。(ポトポトと野の中に伽藍は紅く、荷馬車の車輪油を失ひ)月二篇(今宵はいよよ愁しく、養父の疑惑に瞳を睜(みは)る)(灌木がその個性を砥いでゐる、姉妹は眠つた、母親は紅殻(べんがら)の格子を諦めた!)「サーカス」(観客様はみな鰯 咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻と ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん)「春の夜」(かぎろき胸のピアノ鳴り 祖先はあらず 親も消(け)ぬ)等の発想断面の多角と統一は、追随を許さない。これは疑いもなく新しい美に充実した魂から響き出て行つたものである。いさゝかロココ風な「春の思ひ出」(カドリール ゆらゆるスカーツ)「秋の夜空」(これはまあ、おにぎはしい)なども中原の心情の柔軟さを見せてゐる。「凄じき黄昏」「深夜の思ひ」「悲しき朝」等、惑乱の映像と律動そのものの表現として以外、吾々の感受性を拒否するものもある。結局魂の形象と運動と放射には相違ないが、多くは一種の自己疎外といへるやうなこと、直接の自意識の言葉が影を潜めてゐることを特色としてゐて、現実生活の感心n、人生的意味、人情の温もりなどを捨て去つてゐることが、無機的世界の結晶を清潔にしてゐる。これは一般には一向異とするに足らないことであつて、凡夢でも、魔術でも、絵でも、小説でも、自分が顔を出さないことが主体の欠如を意味しないのと同じことかもしれない。事実、これらの初期詩篇の視象(ママ)にも、鋭角的な断面の切断にも照応にも統一にも、律動の廻転にも、中原の静謐も放胆も戦慄も、その魔術的天分と共に意味を絶して現はれ出てゐるのである。しかし結局審美の面にすべてを献げるこの人工楽園的創造、無意識に似て意識を虐使する、客観的に似て主観的なこの詩風には、彼の魂をとり残すもの、掬みつくせないもの、全面的な渾一な流動を阻むものがあつたのではないか。そしてこゝに彼の苦しみがあつたのではないか。これらのおほむね自己疎外の動向をもつ作品の中にも、往々、つゝましく、極めてつゝましく、直接の自意識の眼がひらめいて、遠心的に射影された風景の中に深まつた層をひらき、求心的に彼の魂に結びつく立体感を深めてゐる。むしろそれが他の耽美的作品に対して彼の詩が初期からもつてゐた特異な点といへる。たとへば「春の日の夕暮」の中の「私が歴史的現在に物を云へば 嘲る嘲る 空と山とが」といふ句はいさゝか生硬にしても、「春の夜」の恍惚の中の「このすゝ゛ろなる物の音に 希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず」といふ箇所にさへ、私はさういふところを感ずるのである。さういふ点から言つても、極めて寡黙な言葉の中に彼の魂の清純さと苦痛の結晶として近頃私の心に洗ひ出されて来たのは、「夕照」といふ詩である。

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 丘々は、胸に手を当て
 退けり。

 落陽は、慈愛の色の
 金のいろ。

 原に草、
 鄙唄(ひなうた)うたひ
 山に樹々、
 老いてつましき心ばせ。

 かゝる折しも我ありぬ
 小児に踏まれし
 貝の肉。

 かゝるをりしも剛直の、
 さあれゆかしきあきらめよ
 腕拱(うでく)みながら歩み去る

 
 この宗教画風の敬虔な恍惚の中に、自己の生き身の存在の鋭い苦痛が無言で刺し貫くのである。そしてその苦痛に堪へるのである。小児に踏まれた貝の苦痛は、剥き身で生きた彼の全生涯を刺し貫くものであつた。』

阿部六郎が語る中原中也6へ続く

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