阿部六郎が語る中原中也8

阿部六郎が語る中原中也7の続きです。1949年9月(昭和24年)に雑誌「文芸」にて発表された、阿部六郎の「詩の道程」を『』内に引用の上、下記に掲載しております。中原中也と交友のあった阿部六郎氏がの彼との思い出を交えながら、熱く解説した内容となっています。中原中也の研究の一助になれば幸いです。

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『平気で、陽気で、藁束のやうにしむりと、
 朝霧を煮釜に塡めて、跳起きられればよい!
                    (盲目の秋Ⅱ)

 幸福は厩の中にゐる
 藁の上に。
           (無題Ⅴ 幸福)

 この感触は彼には親しいものだつた。子羊の無心も彼には生得のものだつた。さうでありながら現実には抱きしめてゐがたく、見えつ隠れつして彼の祈願を誘ふものであつた。なごやかさ、やさしさ、真直ぐさ、品位、「おのが心におのがじし湧きくるおもひ」、感謝、ゆたかさ、謙抑、しめやかさ、単純、清楚、あどけなさ、さういふ心情、さういふ時間を彼は愛し、願ひ、護つて、それに歌を歌はせようとした。焦燥、浮ついた憧れ、かたくな、「悪酔の狂ひ心地」「人に勝らん心」、対外意識、思惑、「交際、陰鬱なる汚辱の許容」、さういふものが、街から、時代から、また彼自身の裡からさへ迫つて、魂の泉を閉塞し、歌をしめ殺さうとする敵であつた。愛するものを護つて害敵と戦ふために、彼は強く自恃を肯定して、その志を握りしめた。いかにも単純な倫理には相違ないが、実行的に彼の魂、彼の生活、彼の詩にもつ意味は重大であつて、緊張した闘を要した。そして彼はこれが凡そ活ける言葉にとつて普遍的なものであると信じた。彼の知性は明晰であり、学識は飛躍的ながら古今東西万有科学にわたつてゐたが、活ける言葉にとつて意味あるものは、恐らくさう多くはなかつた。

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 信ずること、愛すること、希望をもつことが彼の祈りだつた。深く、強く、しかし不幸に愛する者として、彼は自分を苦しめる運命に、求めず、主張せず、忍従し、献身し、愛をつくすことに悦びを見る道を自分に課した。それは偽聖の影を惧(おそ)れるにはあまりに彼の魂の切実な求めであつたし、破れずに済むにはあまりに彼の心は熱烈で性急だつた。
 かういふ操持は幾度か局部的に惑乱し、幾度か全面的に崩壊し、絶望にさらはれさうになつた。しかし魂の方向は結局一すぢに動いた。
 私は彼のこまやかな陶酔が変貌して不気味な鴉のやうに啼きたてるのも見た。夜半、星の光に刺されたやうに起き上つて何がこんなにつらいのか分らぬと呟くのも見た。冬の夜の電車の窓に映る黙りこんだ顔がダヴィンチのキリスト素描の悲しみに似てゐたことも忘れない。
 詩は技術や才能だけでは生れない。いゝ詩の生れる条件は、意志や心がけでは招来できない。あらゆる連関の美妙に合致した状態が恵まれなくてはならない。さういふ瞬間には時間が輝く球体となり、魂のあらゆる良きものが感動に潤うて鳴り響き、世界も球体となつてそれに響きを合はせるのである。「妹よ」や「時こそは今」は、中原のしけた海にもめぐつて来るためにも、またそこからさういふものが生れるためにも、やはりあらゆる修練も、苦しみも、祈りも、なくてはならなかつたのである。空しく見えるすべてのものもそこに何かの連関で響きを及ぼし、生れるものの顔に何かの面影を宿してゐるのである。それは切り離れて在る偶然の一瞬ではなく、やはり流れて来た持続を基調として顕現するものである。それは稀にしかない瞬間にしtめお、その一瞬が嘉しとされるならば、彼の全生涯が、或は永遠がそれに繋がつて嘉しとされたのである。これは残酷な思想かもしれないが、中原の生涯を思ふと、あらためてこの思想が切実に思はれる。苦悶は多く、歓喜は儚い、それにも拘らず……この歌ばかりではないが、いつまでも現在として生きてゐる。そして凡そ純粋な人間の心情を祝福してゐる。』

阿部六郎が語る中原中也9へ続く

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