阿部六郎が語る中原中也9

阿部六郎が語る中原中也8の続きです。1949年9月(昭和24年)に雑誌「文芸」にて発表された、阿部六郎の「詩の道程」を『』内に引用の上、下記に掲載しております。中原中也と交友のあった阿部六郎氏がの彼との思い出を交えながら、熱く解説した内容となっています。中原中也の研究の一助になれば幸いです。

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『しかし詩人自身はその瞬間に踏みとゝ゛まつてゐることができない。生そのものも、大きな連関の幸福な合致の長く続くことを許さない。彼はまたもや不協和の浪にさらはれ、悔恨、追惜の思ひに流される。烈日の下に静まり返る壮大な地平に心の歴史の苦しさが永遠に灼きつけられる「夏」も後に残した。瞬間としては破れても、基調としては持続してゐて、彼の魂の向いて行く方向は一つであり、彼の詩は同じ心情の潤ひに染められてゐる。もつと大きく、もつと深い階調で、一段奥に迫つて歌はなくてはならない。歌ひつくされてゐないものの渇望が彼の魂を前方から引き緊める。だが彼はそのために何をしていゝか分らない。どう手を動かしていゝか分らない。何か形のないものの抵抗が、彼が前に迫らうとするほど、重く身をしばる。それは「朝の歌」にして既に彼がもてあましてゐた地上の時間の所在なさのやうなものだ。それを紛らわさうとしてすることは、魂を充たさず、却つてそれを汚すか、外らすかするばかりだつた。彼はしすぎるほどいろんなことをして来たのである。今は「陰鬱な汚濁の許容」は斥けられた。心の作為は何より嫌ふべき罪である。彼は孤寂に堪へようとするが、孤寂に安住してゐることもできず、しかし何もすることがない。詩は勤勉の生産物ではない。魂の動きをさへ獺(ものう)くさせるこの無形の抵抗体を、彼は怠惰と呼ぶ。

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   あゝ 空の歌、海の歌、
   僕は美の核心を知つてゐるとおもふのですが
   それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!
                                (憔悴Ⅵ)

   僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
   僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
   恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
   そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くさへある。
                                (いのちの声)

 この何ものかに彼は実にまともに向いてゐる。悪びれず、堂々と、真直に向き立つて張りつめてゐる。そこからくる光に照らして、「羊の歌」から「いのちの声」まで、怠惰の潮に包まれた自分の魂の状態を、強靱に、一つ一つ、的確に、私情なく、殆ど即物的といへるほどに、吟味してゐる。そして少しづゝ少しづゝ、怠惰の抵抗を掻き分けて、そこに向つて動いてゐる。空の歌ともいへさうな、その何ものかを、中原は、現実、汚れなき幸福と呼んでゐる。「吾が生は生くるに値ひするものと信ずる」といふ強い肯定が発せられる。
 実在の光源のごときものに、これほどまともに、渾身をもつて向ひ立ち、転調豊かにたゆたひはするが、たるみなく、張りつめた律動でおし迫つて行く『山羊の歌』は、それ自身、太陽の引力に満ちて行く潮を思はせる。倦怠の基調に頌歌(しょうか)があつた。「ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ」といふ結末の一句が、一切をこめた念願であつただけに、これは更に大きな諧調の真昼を約束してゐるものと思はれた。』

頌歌(しょうか)・・・神々の栄光や英雄の功績などをほめたたえる歌

阿部六郎が語る中原中也10へ続く

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