中島健蔵が語る「人間横光利一」2

筑摩書房が出版した「新選 現代日本文学全集36 河盛好蔵 中島健蔵 中野好夫 臼井吉見集」から中島健蔵の「人間横光利一」を紹介しています。「人間横光利一」は、評論家であり横光と交流があった中島健蔵が当時書いた日記をまとめたものです。以下、『』内の文章は左記の書籍からの引用となります。横光利一研究の一助になれば幸いです。

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『○昭和九年二月十七日。~中略~ 横光さんが『春と修羅』という詩集をほめ、宮沢賢治についておもしろい話をきかせた。その他、ヴァレリーやドストイェフスキーの話が出て、かれこれ十一時ごろ「今文」を出、さらに「はせ川」へ行く。文芸春秋の立上君や木村庄三郎、久保田万太郎氏などがいた……。豊島さんは死ぬことをちつとも嫌じやないといい、小林は、スキーや山での死の魅惑を語り、横光さんは黙つていた。横光さんが一番死に対して(他人の死病を見て来たばかりなので、)変な気がしているらしい。しきりに酒を飲んだ。……「はせ川」を十二時過ぎに出て、豊島、横光、小林の三人と「田川」へ行き、二字近くまで飲んで別れる。横光さんは、昔カントを読んだ時、感覚的なものをひしひしと覚え、小説を読んだといつてもいい気がしたといつた。哲学が小説なのではない。哲学でも小説でもない何か感覚的なものがあつて、それが哲学や小説の中に出て来る。あるいは、それを表現の中に感じるのだろう。けつきよく、詩が一番直接な表現だから、豊島さんのように、小説に対して疑問を持ち、詩が小説より上の段にあるような気がするのだろうが、僕は、あらゆる表現の「等値」を信じたい。
 ○昭和九年五月十八日。今朝、上野に行つて国宝展覧会を見る。……そこから大学に行き、三時からの横光さんの講演会と座談会に出た。終つて横光さんと資生堂に行き、笠原君と、文体社の某君とに会い、さらに「はせ川」で木村庄三郎と会つて、けつきよく十二時ごろまで話しこんだ。横光さんと、打ちとけて話したのははじめてだ……。横光さんは、はじめ講演の紹介者が辰野さんではなくて僕であると聞いて、これはいいと思つたが、いざ話し出して見ると、僕の存在が気になつて困つたという。座談会になつてからは、僕の方が困り出した。なんとも自分が割り切れない存在になつて来たのである。おもしろい関係だと思う。

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 ○昭和九年五月二十一日。「ふつと子供の顔を見る。そういう時の気もちは、実にユーモラスなものだ。もし、こういうユーモラスなところがなかつたら、家庭生活などは地獄だと思う。二階でまるで憑かれたように仕事をしている。すると突然、下でパパ、パパと呼ぶ声が聞える。その瞬間にはつとする。緊張が破れる瞬間の気もちの落差が実にふしぎなものだ。」以上横光さんの話。
 「君は物を考えて、ある一つのひだにぶつかると、それをまわつて、けつきよくひだの裏側に出ようとする。それでは小説は書けない。つまり君はわかつてしまうのだ。しかし君には外面柔軟そうに見えて、妙に動かないところがある。だから何か書けるかもしれない。」同前。僕は通俗小説を(大衆小説ではない)書くつもりだといつた。真正面からわらわずにこれを受け入れて賛成してくれたのは横光さん一人だ。が、その真意はかならずしもはつきりのみこめない。「田川」で僕が酔つぱらつた時、「金が欲しい!」と叫んだのを聞いて以来、横光さんは僕をおもしろい(というよりは、そこに横光さんにとつての意想外がはつきりと出たのだと思うが)と思いはじめたという。僕は一方、自分がだんだん「機械人間(オム・マシーン)」になり得るのを感じながら、作品よりも作家の人間をおもしろく思うようになつて来つつある……。
 ○昭和九年八月三十日。僕の最初の評論集『懐疑と象徴』が小野松二君の世話でいよいよ最近に作品社から出る。横光さんが跋(ばつ)を書いてくれた。はじめは『象徴派覚書』という題のはずだつたが、少々弱いというので先月の「作品」の会の時、皆に相談したところ、河上徹太郎が『不安と象徴』というのを考えてくれた。それをまた少し変えたのだ。横光さんは、かげでいろいろとわれわれのために好意を示してくれるらしい。氏のデザンテレスマンを尊重して、われわれの方でも表立つた迷惑をかけないようにしていたが、今度は、小野君の示唆で、僕の方から頼むことにした。僕の書いたものの、もつとも親切な高級な読者としての横光さんへのわがままだ。嬉しかつた……。』

中島健蔵が語る「人間横光利一」3へ続く

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