中島健蔵が語る「人間横光利一」3

筑摩書房が出版した「新選 現代日本文学全集36 河盛好蔵 中島健蔵 中野好夫 臼井吉見集」から中島健蔵の「人間横光利一」を紹介しています。「人間横光利一」は、評論家であり横光と交流があった中島健蔵が当時書いた日記をまとめたものです。以下、『』内の文章は左記の書籍からの引用となります。横光利一研究の一助になれば幸いです。

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『○昭和九年十二月二十六日。~中略~横光氏は、一度、大ブルジョアになつた経験あり、また、寺の小僧になつたあこともあるという。また芥川に最も親近を感じながら、芥川のもとに走らず、菊池寛のところへ近づいたことを話す。どんな奴に会つてもおそろしいとは思わんが、菊池にはかなわんと思うと語る。最近の小説『盛装』の主人公は直木三十五の由。そのうち僕のことも一度書くという。小林、河上の世界と、一般文壇の世界との間には、大変な空白がある。そこを暴れまわれという。また、「通俗にして非俗」の問題をもつとはつきり書けという。僕も大いに元気をつけられて暴れまわりたきものと思う。「やはり文壇をうごかさなければだめだ、そうでないと文壇に動かされる結果になる。」これも一種の「能動的精神」だろう……。本日横光氏より『時計』を送る来る……。

 以上で、「昭和十年代」の前夜までの日記の抜き書きを終る。わたくしの日記は、けつして忠実でもなく、まめでもないが、その中にこれだけ横光利一のことが出ているのは、例外である。~中略~

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 酒といえば、横光利一は、あまり酒をたしなまない方であつた。酒のみどもと一しよにいても、一杯二杯を傾ける程度であつたらしい。当時のなかまが、もとの出雲橋の「はせ川」に集まるようになつてから、少しずつ酒量がふえて来た。「はせ川」へ集る、といつても、誘いあわせて集つたわけではない。一人、二人なんとなくここへ集つて大一座になることが多かつたのであつた。そういえば、わたくしも、きまつた会合を別として、横光利一とあれほどあいながら、あらかじめ約束して落ちあつたことは、ほとんどなかつたと思う。だんだんに酒量が上つた横光利一は、とうとうお銚子一本をあけるくらいになつた。そして、夜、家にいる時も、ひとりで一本の独酌をこころみ、その経験を次のようなことばでわれわれにもらした。「酒というものは、飲めばやはり酔うようにできとりますなア。」これは、いかにも横光流で、しばらくの間は、話の種になつたものである。わたしくしは、このことばを、自分の耳で直接に聞いたように覚えているが、二十年の昔となると、そのへんの記憶は怪しくなつている。ただ、今でも、その語調が耳の中に残つているような気がするのである。
 横光利一にとつては、ひとりむすこというものが興味の種であつたのかもしれない。河上徹太郎もひとりむすこ、わたくしもひとりむすこであつた。そして、彼は、何かにつけて、わたくしの性格や行動を「ひとり坊ちやん」ということばで解釈したがつていたが、「ひとり坊ちやん」らしくないという結論が出ると、いくらか不服そうであつた。わたくしは、小説の主人公の性格を作り上げようとしている作家の心理をそこに感じた。
 わたくしは、横光利一、その他の年上の作家たちに甘えていたかもしれない。しかし、なんとしても疑えないのは、そういう人たちの心の温かさであつた。これは、大学というアカデミーの中のなかまたちの友情とはよほど性質のちがうものであつた。今考えてみると、ディレッタンティズムが全くなかつたことに気がつく。文章に対してはもちろん、人生に対しても、愛情に関しても、酒についてさえも、体当り主義であつた。体当りにもいろいろの程度があるが、それを認めあわなければ、友情もなにも成り立たなかつたように思う。論争ははげしかつた。酒をのんでもあまり論理をはずさずに、執念ぶかく口論をした。そういうのをカラミ酒と称し、時には全くやりきれなかつたが、青年時代の一時期には、しばらくそのカラミ合いから離れると、何かものたりない思いをしたこともたしかである。
 横光利一は、『紋章』の時代にはいつていた。年長の彼は、カラミ酒の修羅場を黙つて傍観し、時々短いことばを入れるのが常であつたが、おそらく、創作力が一ばんさかんな時であつたので、稀には、丸岡を泣かせるようなことにもなつたのである。』

中島健蔵が語る「人間横光利一」4へ続く

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