中島健蔵が語る「人間横光利一」5

筑摩書房が出版した「新選 現代日本文学全集36 河盛好蔵 中島健蔵 中野好夫 臼井吉見集」から中島健蔵の「人間横光利一」を紹介しています。「人間横光利一」は、評論家であり横光と交流があった中島健蔵が当時書いた日記をまとめたものです。以下、『』内の文章は左記の書籍からの引用となります。横光利一研究の一助になれば幸いです。

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『○昭和十年五月十日。……河上は、先日の座談会の話をして、僕のことばを、横光氏のまわりをめぐつているようなものだとわらう。然り。一緒に話をしていると、こつちもどんどん進歩するが、彼のことばを追跡するために、観照が曲る、あるいは偏するおそれはじゅうぶんにある。これは危険だ。ことに、ある相違を暗々裡に認めあいながら、思わず遠出をして、その先で互の素顔を見合うのは愚劣だ。横光氏が、『純粋小説論』の中で、僕の「感動の深淵」を引用したのは、どう考えても少しむりすじだと思う。僕が純粋小説を云々するのと同様に。「通俗性」に関しての僕の考えははなはだ浅かつた。『純粋小説論』の最後のいわゆる「通俗」には思いおよばず、作品にばかりかまけていたのは悪い。「文学界」五月号の中村光夫(木庭一郎のこと)の論、よし。この論に関する限りの白眉だ。
 ○昭和十年五月十九日。横光氏のいわゆる「四人称」に関して、(『覚書』)。ある時間経過を描く場合、意識の場は一つしかあり得ない。各人が自意識を持つている場を考えるためには、さらに範囲の広い意識の場が必要になる。要するに、ある進行中、「だれが考えているか」という問題になる。みなが考えている場合には、(それを作家が上から見て描く場合)作家の意識が唯一の場であれば問題はない。しかし、各人が考えている世界(すなわち「自然」)をそのダイメンションのままに捉えようとすると、そういう広い場が必要になつて来る。ところが、それが、何らかの人称を持ち、肉体を持たなければ、小説としては成立不可能だ。そこに第四人称の必要が起つて来る。
 ○昭和十年七月二日。横光さんから本になつた『覚書』を贈らる。昨年から今年の春にかけての、よいつきあいの記念品だ。会いたし。
 ~中略~

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 ○昭和十年十一月二十六日。美術学校、帝大と講義をすませ、豊島さんと一緒に日本ペンクラブの発会式へいく……。会後、横光氏に誘われ、豊島、徳田秋声、福田清人、船橋聖一、板垣鷹穂と「はせ川」へ行き、十二時ごろまで雑談。徳田秋声とはじめて口をきく。横光氏、小説技法について、モンタージュが問題にならないのはおかしいという。ことばについて。いつかKが匿名で、『盛装』の会話を非難した手紙のことを話す。山の手の中流の家庭で、女が座にいると、男まで女のことばを話すが、これなどは、実に特徴的なことでありながら小説の会話には用いられないこと。ところが板垣にこの癖あり、今夜など女がいないのに女のことばを使う。日々新聞の連載小説『家族会議』の挿絵のことがまず話題にのぼる。徳田、板垣の両人は、「評判が悪いな」という。自分が嫌に思うとはいわない。佐野氏の原画は、印刷には出せないよさを持つているそうだが、はじめから新聞小説の挿絵ときまつているものを、それによさが出ないようなものを描くというのもおかしい……。横光氏はけつきよく来年はパリに行くという。「ジードという奴は、会つたらさぞかし嫌な奴だろうと思うね、」豊島氏。一同賛成。「しかし、ヴァレリーならば会つても嫌じやなさそうだ。」一同賛成。「ジードなんかに会つたらやりきれん。ヴァレリーなら何でもわかつているから、こつちが楽だろう。しかし、だれにも会わんつもりです。」横光……。十二時を機会に、一同別れる。秋声ひとり、銀座通りの方へ出ていく。横光氏と同じ自動車で渋谷をまわつて帰る。「淋しいなあ、あの人は、」秋声の姿を見ながら、横光氏。「女房が急にいなくなつたとなると、こういう時、さあ家へ帰るというのが実に淋しい嫌なものですよ、」同じく。「やはり『上海』は大きな転機だつたね。あの時はみんな左傾したし……。もし上海へいかなかつたら僕も左傾していたろうと思う。」横光氏。』

中島健蔵が語る「人間横光利一」6へ続く

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