中島健蔵が語る「人間横光利一」6

筑摩書房が出版した「新選 現代日本文学全集36 河盛好蔵 中島健蔵 中野好夫 臼井吉見集」から中島健蔵の「人間横光利一」を紹介しています。「人間横光利一」は、評論家であり横光と交流があった中島健蔵が当時書いた日記をまとめたものです。以下、『』内の文章は左記の書籍からの引用となります。横光利一研究の一助になれば幸いです。

『○昭和十一年一月二十九日。~中略~人のうわさ……いつだか、豊島さんが横光さんに、「デカダンス」の不足を説いたことがあつた。「横光君自身にはデカダンスがあるだろうが(いい意味の)、作中の人物にデカダンスがなさすぎる。だから、人物が生きてこない、」(説明を要する議論だ、)というのだ。豊島さんは、『上海』を見落している。が、それ以外のものについて(短篇は別として)は、そういえなくもない。おそらく、パリが、横光利一にとつて『上海』についで、生きた人間を捉える場を供給することになればおもしろいだろう。具体的な「場」の不足が、彼の第一の困難なのだから。「このごろでは、寝る前に、ビールを一本半くらいのまなければ、寝つかれない、」という。「出かける前に、もう一度会えますな、」という。別れぎわのことば。彼の送別会を川端さんが主催するからとの意……。~中略~
 
 二・二六事件の直前に、横光利一はフランスへ出発した。このメモにははつきりと出ていないが、物情騒然。~中略~
 横光利一の出発前から、われわれは、もう政治に無関心ではいられなくなつていた。国際関係の話や、右翼の陰謀の話がいつもひそひそと語られていた。もつとも、その当時は、政治的関心というような感じではなく、むしろ、「政治の消滅」が感じられたのであつた。二・二六事件以後、わたくしのメモも、全く書き方がちがついて来ている。その時には、横光利一は、日本にいなかつたわけである。~中略~
 
 ○昭和十二年二月二十七日。横光氏が「種族の知性と倫理の国際性」などという妙なことばを『厨房日記』の中でいつて以来、そして河上が、「日本の知性と西欧の知性」の問題を提出して以来、どうにもならない溝が掘られたことを感じて淋しい……。~中略~

 昭和十二年八月二十八日、応召のFを東京駅に見送りにいくと、横光利一も来ていた。~中略~
 ○横光氏とは久しぶりなので、寺崎、桔梗と一緒に、「はせ川」へいく。~中略~
 ○ドストイェフスキーの『悪霊』の話が出る。一体ドストイェフスキーは、どんなつもりであれを書いたか、人間をみな悪魔につかせようと思つたのじやあるまいかと思うという。小林(秀雄)も、これを読みながら「暗鬱でたまらない。人間には進歩なんか断じてない。戦後にはじめて日本でもドストイェフスキーがしみじと読まれるようになるんじやないかと思う、」と桔梗君にいつたそうだ。横光氏は、『悪霊』を読んで以来、小説がまずくなつてしまつたという。今ではどうして『悪霊』の影響から抜け出すか、その努力があるばかりだという。『悪霊』だけは、隅から隅まで「わかつた」気がしたそうだ。その例として、スタヴローギンとリーザとの会話(第三編第三章)をインポテントの会話だとしか思えず、河上にその話をすると、「そんなことはないでしよう、」といつたそうだ……。横光氏は、今に戦況が悪くなりでもしたら、左翼の思想家はみな殺されるかもしれないという。「きつとやりおる、」という彼の口調の中にも、きわめてありそうなものと、とうていあり得そうもないものとの混合が感じられる。~中略~
 横光氏は、『厨房日記』について一番大切なところは、書くことができずにみな消してしまつた、という。ぼけているところはみなそうだという。一体、消さない原稿は残してあるのか、と聞くと、いや書きながら、消して破つてしまつたという。ついでに、消すことについて、伊藤整の『幽鬼の街』は、消すことを知らん小説だという。おそらく、伊藤は、消すことに反抗してあれを書いたのだろうが、と僕は思う。』

中島健蔵が語る「人間横光利一」7へ続く

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