中島健蔵が語る「人間横光利一」8

筑摩書房が出版した「新選 現代日本文学全集36 河盛好蔵 中島健蔵 中野好夫 臼井吉見集」から中島健蔵の「人間横光利一」を紹介しています。「人間横光利一」は、評論家であり横光と交流があった中島健蔵が当時書いた日記をまとめたものです。以下、『』内の文章は左記の書籍からの引用となります。このコラムも今回で最後になります!おつき合い下さった皆様方、本当にありがとうございました!横光利一研究の一助になれば幸いです。

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『○昭和十三年三月十八日。用事のため文芸春秋社で菊池寛に会う……。ちようど居合せた横光利一と一緒に散歩する。「浜作」で飯を食い、彼がフランスへいつている留守の話をする。意外なほど彼は事情を知らずにいる。文学界の一月号の論文を、別の表現で話す。やはり二・二六事件の影響がまるでわかつていないのだ。あれ以後の一般的な人道主義的「狐つき」と、そのあと始末とが、横光的ニヒリズムとつき合いながら、「はせ川」へいく……。
 ○昭和十三年三月二十二日。気もちが鬱して「はせ川」で酒を過ごす。文学界の座談会の帰りの横光、河上、林房雄来る。三木さんがヒューマニズム一点張りの強調したので思い通りのことがいえなかつたとこぼす。現在、愚劣に陥らない唯一の道は、この強調にあるのだが。この間の散歩の時と結びつけて、横光氏は、第三リアリズムの話を今日持ち出したかつたのだが、ヒューマニズムをいい出されてはその気もなくなつたという。その意味はこうだ。第三リアリズムというのは、横光氏の前の第四人称と同じことで、ちようど西南学派が認識論的主観を確立したように、小説的主観を立てることだ。他に依存しない主観、超個人的でニヒリスティックな主観だ。ニヒリストという限定さえなければ、こういう主観は小説には絶対に必要なものだが、そこに何か別の限定要素がないと、どうしてもニヒリズムに陥らざるを得ない。ヒューマニズムは、ニヒリズムを消す限定要素(あるいは原動力)だから、両者は絶対に相容れなかつたのだ。
 現在、「はせ川」のような所でぼそぼそとおこなわれている議論は、皮相なようで、一歩突込めば、すぐに根本的なところへぶつかる。その突込み方がわからなくなつてまごまごしているのだ。仮に横光さんを零(ぜろ)として、いろいろな人間の傾向を整理すると、だんだん様子がはつきりして来る。
 ○昭和十三年十二月二十七日。寄る、かねての打合せ通り、「はせ川」で三木、横光両氏と会見、三人でYの部屋を借りて談合。クサビの必要、その任務を僕に期待すること(横光氏)。今夜すぐにクサビの必要あり。

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 以上で、わたくしのノートに出て来る横光利一関係の写しを終る。そのほか三四カ所に名が出ているが、大して意味がない。昭和十三年の終りの文は、どうもよくわからない。三木、横光、すでに逝き、たしかめるすべもない。そして、次の年あたりから、わたくしのメモはとびとびとなり、やがて大戦争がはじまつて、わたくしの生活もノートも以来しばらく空白になつているのである。
 このノートは、戦災ですべてを失つた中の残りものである。私的なメモであるから、公表をはばかるべきものだと思つたが、横光利一の部分だけ拾い読みして、むしろ、あまり手を加えない方が、当時の空気をつたえるためになにかの役に立つと思い、若干の解説をつけて写すことにした。このメモ意外にも記憶はある。しかし、今度は、わざとそれに触れないことにする。』

中島健蔵の「人間横光利一」に書かれていた、中島自身と横光との面白いやり取りなどは全て中略しているため、是非、原文を読んでみて下さい。恐らく、皆様が抱いている横光像に新しい豊かなな色が加わると思います。

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