徳永直の小説勉強 – 志賀直哉3

昭和18年(1943年)に出版された徳永直(すなお)の「小説勉強」より、徳永直が学んだ小説家に対して宛てた随筆を現代語訳した上、掲載しております。ここでは、志賀直哉編を下記の『』にて引用しております。徳永直は志賀直哉と小林多喜二の間に交流があったことについて、ナウカ社から1934年に出版した「新しき出発」の中で“作家を志願する人々に”の項目内で好意的に触れています。徳永直の研究の一助になれば幸いです。

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『網走まで行くのは主人公ではなくて、汽車の中で偶然向かい側に腰かけた子供づれの女である。小さい方はおぶい、大きい方は手をひいて、遠い夫の赴任地網走(明治四十年頃の交通では現在の満州以上か知れぬ)までの女の一人旅へ作者の心はうごいている。そして読者がもっと心をうごかしていることは、女の人柄と、たぶんは夫の遺伝らしい頭が異常に大きいわが儘な、大きい方の男の子との対照であって、そこから男の子の父なる人物をも想像してをり、女のかぎりない妻として母親としての苦悩をも想像して、この一篇の中味をあざやかな印象で読者のまえにうったえている。

  「母さん、どいとくれよ」と七つ許りの男の子が眉の間にしわを寄せていう。
  「ここは暑ござんすよ」と母は赤子を下ろしながら静かに言った。
  「暑くたっていいよ」
  「日のあたる所へ居ると、又おつむが痛みますよ」
  「いいったら」と子供は恐ろしい顔をして母をにらんだ。
  「瀧さん」と静かに顔を寄せて、「これからね、遠い所まで行くんですからね。若し途中で、お前さんのおつむでも痛み出すと、母さんは本当に泣きたい位困るんですからね、いいこだから母さんの言う事を聞いて頂戴。それにね、いまに日の当たらない方の窓があくから、そうしたらすぐいらっしゃい、ね?解りまして?」
  「頭なんか痛くなりやしないったら」と子供は尚ケンケンしく言い張った。
  「困るのねえ?」

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 この母子の会話は余韻をふくんで読者はすべてを諒解できるだろう。このわずかな会話はこれ異常一字を加えても一字を減らしてもならぬほど美事である。
 向かい側に腰かけている主人公は男の子に席をゆずってやりながら、大酒呑みの子であった異常な友達のことを思いだしたりする。その間も向かい側の女はホッとする暇もなく、小さい方が泣き出したり、こんどは大きい方が「小便」と言い出して困らせる。生憎汽車には便所がついてない。(その頃の汽車はそうだったらしい)やっと宇都宮駅へきて、そこで降りる主人公は、小さい方をおぶい、足踏みして泣いている大きい方を駅便所へつれて行く女に手伝って一所にホームへ行くが、そこでポストへハガキをいれてくれと女に頼まれる。

  「母アさん、何してんの」と男の子が振りかえって小言らしく言った。
  「一寸待って……」女の人は顎をひいて無理に胸をくつろげようとする。力を入れたので耳の根が紅くなった。其の時、自分は襟首のハンケチが背負う拍子によれよれになって、一方の肩の所に挟まっているのを見たから、つい黙ってそれを直そうと其の肩へ手を触れた。女の人は驚いて顔を挙げた。
  「ハンケチが、よれていますから……」こう言いながら自分も顔を赤らめた。

 若い人妻である女の人柄が、じつに鮮やかな印象となって読者にのこると思う。
 志賀の小説には大袈裟や誇張がない。日常の小さい出来事のうちから、印象を通じて大切なものを掘りだしてある。日常の誰もが見過ごしてしまうような小さな出来事から小さくはない印象を掘りだしてある。志賀の小説はその点典型的だと言っていい。
 まえに「志賀小説の新鮮さ」と述べたがその特徴はここから出ていると思う。作者の鍛錬され研ぎすまされた感性が、日常の出来事や四辺の風物に、アンテナよりも鋭く目をみはっている。勿論私は志賀敵手法を唯一のものとは言わないが、この日常的特徴は誰もが学ぶべきものと思う。これは小説の大道であり最も健康な道であって、殊に日常を実践的な場面で生活する勤労者は、志賀小説から学ぶところ非常に多いと考える。』

今回で、徳永直による志賀直哉の解説は終わりです。次回から徳田秋声の解説が始まりますので、よろしくお願いいたします。

徳永直の小説勉強 – 徳田秋声1へ続く

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