葉山嘉樹が語る中野重治

葉山嘉樹はプロレタリア文学の小説家で、代表作に「セメント樽の中の手紙」、「海に生きる人々」があります。中野重治と交流があり、下記の随筆は中野依頼によって書き下ろされました。随所に彼等の微笑ましいやり取りが垣間見える内容となっております。以下、『』内の文章は、昭和51年2月10日に筑摩書房より出版された葉山嘉樹全集第五巻より「中野重治の印象批評──中野重治詩集・論議と小品──」を現代語訳したものです。葉山嘉樹と中野重治の研究の一助になれば幸いです。

『中野重治が詩集の批評を書けと言う。
 私には詩は分からない。「ええものはええ、わろいものはわろい」などと言うと、政治家の言葉見たいになって、おそろしく厳粛を欠く。
 いくら厳粛を欠いたところで、わたしには芸術一般について、その程度でしか分かっていないのだから弱ったものだ。
 どだい、わたしは「厳粛」とか「威厳」とか言うものを好まない。そいつは窮屈でいけない。
 中野重治には、威厳や厳粛などは無いようだ。大分長いつき合いだから、よく知っている。そして、面倒だから先に言っちまう事にするが、「ええものはええ」方の作家に属すると、私は思っている。
 一番私が感心したのは、「多少の改良」と言う随筆であった。『改造』に出たんだと思っている。
 私は涙をこぼしながら、腹をよって笑った。到頭(とうとう)、嬶(かかあ)が台所から茶碗を洗うのを止めて、見に来たけれど、やっぱり、私は涙も笑いも止め度がなかった。
 抜き書きをすれば、徹頭徹尾面白いんだから、手がつけられない。
 「また検閲をする人は読みながら蜜柑など食わないでほしい。食うのは勝手だが、新しいページの間へ黄色い蜜柑のすじをなどは入れないでほしい」
 「あのブリキ板を嚙んだ時は──二分平方位のものだったが、そして舌を嚙んだことのある人なら、人間が知らずにどれ程強く嚙むものか知っているだろう。──私は悲しかった。私は藁や砂なら仕方がないと言うのではない。しかし針金やブリキは真平と言い度い」
 ああまったく切りがない。抜き書きをしようとすると、笑い出しちまうので書くことが出来ない。読んで貰うより外に手がない。

 詩集の方から一つ二つ、拾い出して見よう。

    はたきを贈る

   大学前の一軒の荒物屋の店さきに吊してあったのだ
  金五銭だったのだ
  えりにさすわけにもいかなんだ
  腰にさすのもはばかられた
  おれはその白いふさふさを
  通りにいる子供の顔にさしつけてやった
  そしてくるくると廻してやった
  すると白いふさふさの間で
  丸めた眼や細めた眼やのたくさんの笑いが花咲いた
  ある笑いの如きはよろこびに揺られて逃げて行った

  君は知っていよう
  東京というところは凶悪な都会だ
  その凶悪さは 影のように忍びこんで来る煤やほこりに映じている
  それに君は毎日 君の生活を あれ等の判任官どもの間ですりへらしている
  そしてそのために君の言葉は粗くなってくるのだ
  見たまえ
  これは繊維の濃(こま)かな哀しい日本紙の手ざわりだ
  そしてこれには無邪気な少年の笑いの祝福が匂っている
  美しい日曜の朝に君の部屋の掃除をして
  この清浄な白いふさふさでもって
  君は君の書物や机のあたりを払いたまえ
  君の心にふりかかって来る煤とほこりとを払いたまえ
  そしてしとやかな言葉づかいで静かな半日を憩(やす)みたまえ

これを読んでいると、静かな深い愛情の中に、その愛情を歪められなければならぬが故の、限りない呪いが聞こえて来る。どこまでも続いて行く連想の緒(いとぐち)を与えられる。深い物思いへ誘い込まれる。
 一体中野重治は、考えさせる作家である。小説でもそうだが、去りげないことを書いていて、その書かれた事柄とは別な、深みの方へ読者を曳きずり込む。
 何を書いているんだか訳が分からない、などと、腹を立てながら、妙に引きずられて読んで終う、と、ちゃんと、何か結び目の固い風呂敷包みみたいなものを、頭の中に押し込まれている。そんなものを包みのままで、頭ん中に預け放しにされたのではかなわないので、解いて見なけりゃならない、と言うことになる。
 『改造』新年号の「小説の書けぬ小説家」がそうだ。チンプンカンプンで、何を言ってるのかさっぱり訳が分からない。が、「分からないじゃ済まない」
 とうとう、私は三度も読みかえしちまった。それでも、これで「サバサバした」と言うようには行かない。矢っ張りモヤモヤしている。
「ひでえ奴だ」と思いながら、腹が立たない。分かり切った小説よりも面白くさえあるのだ。
 こうなると、「ええものはええ、わろいものはわろい」と投げ飛ばしかねる。何がよくて何が悪いんだか。そこんとこからもう一遍、考え直さないといけない事になる。
 それや、いろいろ考えた。「これは一番生活を書いていなくて、一番生活を出している」とも考えた。「余り突き詰めて考えるから、あんな風になるんだ。だが、奴にはそいつだけは突っぱなせないのだ」とも考えた。
 「詰まり人柄なんだ」と考えた。
 作品が作家の人柄である事などは、常識であり過ぎる。と人は言うかも知れない。
 だが、今、背延びをしてる作品が多いように思うが、どうだろう。で無けりゃ、結婚の見合いにでも行く時見たいな作品が。ところが、中野はブラッと銭湯に行く心算で、手拭袋を提げて出たが、途中で約束を思い出して、そのまま歌舞伎座に現われちゃった。
 中野の思わくでは、「俺の本質は肉体である。肉体とは裸の時に最もよく表われる」と思ってるんだろう。だが、「裸で道中はならない」から古い、大学時代の制服の、ボタンだけ毟って貝ボタンにして着てるだけの話だろう。
 「小説の書けぬ小説家」は、その意味から言って、──どの意味からだっていいが──中野の裸の姿であろう。そこで、フト私は考えた。この題を「小説の書けぬ職工」と変えて見たらどうだったろう、と。そう題を変えただけで、中野はずっと楽に、あの小説が書けたんじゃあるまいか。何故かって、職工なら小説が書けなくても当たり前だから、ゆとりを見て書けるだろうではないか。
 何だか、中野のものよりも、私のこの文の方がチンプンカンプンになって、「何をボヤボヤほざいてるんだい」と言われそうになって来た。これも人柄だから仕方もない。
 白状するが、『文学評論』で平林たい子との「相互批評」なるものをやらされ、大いに弱った。それと引き続いて「これ」である。もう今後、どんなに言われても、批評めいたものは御免を蒙る。この位気骨の折れる仕事ってあるもんじゃない。褒めれば「仲間褒め」と言うだろうし、くさせば、「奴にやてんで分かっちゃいない」って言われるだろうし、自分では面白いと思っても、そんなとこちっとも面白くないじゃないか、と思う読者もあるだろう。
 ぼろくそに言われても何でも、自分のものを自分が書いている分には、そうかなあ、と思ってりゃ事は済む。
 が、中野重治氏の「小説の書けぬ小説家」は、その題の示す通りである。などと言えば、内心引っ張り込まれて面白いと思って読んでいた読者でも、そう言えばそうかも知れない、などと、考え直さないものでもない。恐るべきは批評である。
 中野には型がない。「あいつあ形なしだ」と言うのと違う。作法がない。弁証法的創作方法でも社会主義的リアリズムでも、新ローマン派でも何でも構わないから、ものさしを持って来て押しつけて見た給え。どいつも嵌まらない。
 ひょうきんだが、憂鬱な顔をして、彼の作品は足を出してる。足の方を隠すと胸毛を出している。
 ええい、ちくしょう。こんな批評って一体あるもんか。私は匙を投げた。匙を投げるトタンに、一言、言って見ようなら、中野の作品の中には、悪気がない。気取りがない。嘘がない。ないないづくしで悪ければ、その代わり芯の底に燃え上がる階級的情熱がある。
 嘘だと思うなら、左記の本を読んで下さい。
 『中野重治詩集』(ナウカ社版)、『論議と小品』(現代文化社版)』

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