若園清太郎が語る坂口安吾4

1976年に(株)昭和出版から出された、若園清太郎 著「わが坂口安吾」には、坂口安吾を中心として、安吾に関係のあった文士達の姿が、当時バルザックの研究家であり、多くの文士達と交遊のあった若園清太郎が親交を思い出しまとめた本です。以下、『』内の文章は、左記の本からの引用になります。坂口安吾の研究の一助になれば幸いです。

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『安吾は「堕落論」を書きあげると、続いて『新潮』に「白痴」を発表したが、これまた大評判になり、文字通り流行作家となり注文が殺到した。
 彼が作品つくりの秘密は、常日頃、思いついた小説のテーマや筋書その他メモ書等を丹念に記しておいて、あとで個々別々にまとめ、推敲して清書してゆくという仕方であった。戦争末期になって作品が発表できなくなってからは、それらノートに書きためた厖大な量があり、多くの覚書ノートを焼き捨てたとはいえ、手許にとっておいたものもあり、注文が来れば、ノートを生理して清書すればよかったのだが、しかし、多くの注文が殺到しては、速筆家の安吾といえどもテンテコマイである。』

安吾の当時としては大変な速筆ぶりの影には、こういった秘密があったのですね。参考までに、当時の安吾の仕事振りが掲載されていましたので、こちらも引用しておきます。

『さて、安吾は「堕落論」によって流行作家になり、それ以後、凄まじい筆力ぶりを発揮するのであるが、参考までに、この昭和二十一年(四十一歳)における作品活動を次に掲げてみる。
   近代文学(創刊号)一月号 わが血を追う人々
   早稲田文学 三月号 わが文学の故郷
   新  潮 四月号 堕落論
     〃   五月号 堕落論(続)
     〃   六月号 白痴
     〃   六月号 教祖の文学
   中央公論 七月号 外套と青空
   文藝春秋 九月号 女体
   人  間  九月号 欲望について
   新小説  十月号  いづこへ
   新 潮  十月号 デカダン文学論
   光     十一月号 石の思い
   早稲田文学 十月号 足のない男と首のない男
   新   生  十二月号 戦争と一人の女』

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一ヶ月に2~3本は締め切りがありそうな仕事振りですね。他にも、この仕事振りに通じる気づきを若園清太郎はこのように書き記しています。

『いつか、安吾は尾崎一雄のことについて次のようになことを私に言ったことがある。
 「尾崎と話す時は余程、気をつけて話をしないと彼はこちらがいったことをそのまま小説や随筆にして書いてしまうんだ。彼は《骨の髄まで》私小説作家だな」とアキレ顔にいったことがあるが、そういう安吾自身も、尾崎一雄に似たところがあり、「オレは日記などというものはつけていない」とは言っていたが、しかし、自由日記風に、あるいは丹念に覚え書きノートをつけていたのではなかろうか。それは、私が時折り彼の仕事部屋で碁や将棋をしていた時、安吾が長考している間に、私が何となしに乱雑に机の周辺に置かれた本や数冊のノート・ブックや書き綴られた原稿用紙の束などを眺めていると、一見乱雑に見えるが、その実、碁の布石に似て、彼の創作ノートには《整然とメモが綴られていた》と私は考えられた。』

また、流行作家になった安吾に注文依頼が殺到し、断るだけでもかなりの時間を要するようになりました。そのため、有名になったはいいものの安吾の生活が段々荒れ始めてきた事を書いています。

『このごろから、安吾の日常生活は彼の仕事部屋さながらに、支離滅裂になり始めた。玄関の扉に「執筆中につき面会はご遠慮下さい」の張紙をしておいてもムダであった。
 面会者の来襲をさけて、家から雲がくれして《隠れ巣》へ行くと、そこにはすでに先廻りした面会者が待ちうけていることがしばしばであった。「オレも忍術の心得が多少あるが、オレより上手がいるものだね……」と苦笑するのだった。』

何とも安吾らしい、ユニークな言葉でしょうか。
では、長くなりましたが、今回でこのコラムも終りです。最後までおつき合い下さった皆様方、ありがとうございました!

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