杉山平一が語る織田作之助2

織田作之助の親友であった杉山平一の「織田作之助について」を受けて、織田自身は、この文章に対する回答として随筆「杉山平一について」を残しています。織田の随筆は、現在青空文庫に多く収載されていますが、この杉山氏についての随筆は未収録です。ですが、昨今の文豪ブームでもしかしたら心ある方がボランティアで入力して青空文庫に掲載して下さるかもしれませんね。

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また、織田が書いた「杉山平一について」には「プラネタリュウム的世界」という表現が登場します。織田は随筆「大阪の詩情」の中で「プラネタリュウム」という章を設け、当時のプラネタリウムについて短いながら詩情豊かな文章を書き残しております。こちらも青空文庫には未収載ではありますが、図書館で織田作之助全集が置いてある地域の方は、お手にとって読んでみて下さい。織田の当時における深い感動が伝わってくると思います。
以下、下記の『』内の文章は六月社書房より1971年に限定500部で発刊された「織田作之助研究」から現代語訳した上での引用になります。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。

『彼はまず自分の作品に夥しい数字をばらまく。長篇「二十歳」の最後の十行などはこうである。豹一という主人公の気持のたかまりを数字で刻んで行く。
「八十一、八十二、八十三、……」
「らっしゃいませ」
「珈琲ワン」
「ありがとうございます」
「テイワン」
喧騒のなかで、豹一の声は不気味に震えていた。
「八十四、八十五、八十六……」
色電球の光に赤く染められた、濠々たる煙草のけむりの中で、豹一の眼は悲しいまでに白く光っていた。
「八十七、八十八、八十九……」(終)
 まるで祈祷のように数字にすがりついている。僕らの信じることの出来るのはそういうはっきりしたものだけなのだ、と。
「放浪」の文吉という男の自殺する過程は金銭の数字をもって描かれる。三十円貰ってそれで魔がさしてうなぎをたべ、活動を見、二十六円八十銭になり、それが十六円十六銭になり、十一円十六銭になり、下駄をかったり鳥打帽を買ったりして一円六十銭が一円十銭になり、うどんをたべて九十二銭になり、ついに天王寺公園で、十銭白銅四枚と一銭銅貨二枚にぎって毒を飲む。数字に説明させようとしているのだ。
 二十銭の木賃宿へ泊ったとか、コーヒーが一銭高くなっていたとか、銭勘定によって彼らの行動の意味と位置を示そうとしている。
「二十銭」の野崎という学生の青春の彷徨も、つねに財布の中の三十銭を以ていかに自分をたのしませようかという風な数字による対決をせまられている。

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 また「雪の夜」の坂田という主人公が、自分の家へ帰るところを「五町行き、ゆで玉子屋の二階が見えた」という風に書いている。ところが、この五町というのは、別に意味があるわけではない。金銭であろうと、距離であろうと、年月日であろうと、これは正確ならんためのものでない。もとよりリアリスティックならんがための数字ではない。
 これらは、思想にかわるものとして、最も強力な実際的なものとしての数字によって対抗しようとしたものである。 
 従って場所のごときも、昔々あるところにという表明をとることがない。強力な思想が失われているところでは、丁度、坊さんの説教のように、実際の例話によって武装してひきずって行くようなものである。織田作之助は、もの凄いまでにこの具体をもって、作品の隙を埋めて行く。
 谷町何丁目のどこそこの交差点から西へ二つ目の筋の何軒目という風に嘘と思うならついて来いという風に読者を連れて廻る。具体から抽象されて思想が発生するように、これが甚しく空想を刺激して行く。それは思想的であろうとするものよりも、より大きく心情をひろげることがある。』

杉山平一が語る織田作之助3へ続く

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