織田作之助の「杉山平一について」2

このコラムも、今回で最後になります。おつきあい下さった皆様方、ありがとうございました!後半の内容は、織田と杉山の友人としてのつきあいや、心置きなく色々なことを語り合う間柄であったことを感じさせます。

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以下、『』内の文章は1970年に講談社より出版された「織田作之助全集8」より「杉山平一について」を引用しております。織田作之助の研究の一助になれば幸いです。

『そして杉山は「織田はこの後者の型にぞくする典型であり、思想にかわるものとして具体をぶちまけて行く」と続けているが、杉山もまた前者の型にぞくするものではない。杉山が僕の作品の数字や地理をあれほど丹念に指摘するというのもまた、彼の具体への傾倒を示しているものなのである。僕が数字や地名や商売をばらまくように、彼は巧妙な比喩をばらまく。こういう彼の詩がある。
  その時分、僕の思想は風邪をひいていたのだ
  それで、抑えても抑えてもあんな無意味な言葉が咳のように次々にとんで出たのだ。
 これは既に彼の「無意味な言葉」への決別、具体への出発を語るものだ。従ってはやここに比喩が用いられている。彼の比喩への傾倒、具体への異常な関心は、たとえば彼の小野十三郎論にそれが見られる。あたかも僕が杉山の中に僕を見ているように、杉山は小野十三郎の中に彼を見ている。杉山は小野十三郎の詩の一行をその具体の示し方の故に、比喩の使い方の故に愛し記憶するのである。日常彼の口から誰々の詩の一行だけを僕はよくきかされて、苦笑したものだ。その時こそ彼は生々しているのである。
 さて、「夜学生」へ戻ろう。なぜ杉山は夜学生を見て、「夜になると酒をくらってほっつき歩くこの僕のごときものを嘲笑え」と言ったか。僕は杉山が「夜になると酒をくらってほっつき歩」いた姿を見たことはない。杉山は煙草をのむ中学生よりもその生活は健全である。しかし「この僕のごときものを嘲笑え」という気持は誇張ではない。夜学生という黙々とした感覚の前に、「黒い俥がうなだれいた」(駅前広場)的な感覚の前に、杉山の首はうなだれるのである。ここには世代の重荷がある。理想をもつものは昂然としている。「私」の愚痴に夢中になっている者は、夜学生なぞ眼にはいるまい。見てくれのイデオロギーを振りまわしている者は、イデオロギーの名誉にかけて「嘲笑え」なぞと言わない。「会を持ちましょう」である。郵便切手みたいなイデオロギーを貼って、しばしば郵税不足になるていの饒舌は、この世代には無縁である。ただもうひたすらにうなだれる。体系を持たぬものの、憂愁の感覚である。

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 しかし、杉山はこの憂愁の感覚から、希望をうたった。ひとはここに明るさを見た。甘さを見た。彼の工場労務者をうたった詩が賞讃される所以である。が、その明るさ、甘さの発想は、この憂愁の感覚からきていることを、ひとはしばらく忘れている。
 されば、杉山の詩の明るさ、甘さは、中学生や高等学生のそれではない。高校生が永遠の女性に憧れるようなそんな甘さではない。令女界、新女苑、婦人公論ごのみではない。彼の詩は日向葵のように午前の太陽に憧れるのではない。彼は夜の光をうたう。夜汽車の窓、夜学校の教室、プラネタリュウム的世界──即ち夜学生の世界だ。夜をほっつき歩いた世代の眼に哀しく映じた光ばかりだ。セザール・フランクのピアノ五重奏のピアノの音が発する光は、沼の底に光る夜光虫の光であった。
 杉山は表現を失った僕らの世代の感覚をうたって成功した最初の詩人である。僕らの世代の文学はほかにもあり方があろう。がともあれ詩においては、杉山はその一つの方法を、しかも完成した姿で示した最初の詩人であろう。余程すぐれた資質がなくてはかなわぬところである。
 杉山のエッセイことにその映画批評、文学批評は前代の詩人の持たなかった新しい感覚をもっていて、しかも粋である。関西にはすぐれたエッセイを書くひとがいない。じめじめした理屈を言うが、もう梅雨が上ったのに、いい加減にして置いてもらいたいという向が多い。だから、杉山のエッセイは光るのである。他の者の文章の感覚が一昔古いのだ。
 杉山はこの頃比喩を気にしだした。が、しばらく気にすることもあるまいと思う。もっとも気にするということは、彼を前進させるものだ。一応の完成を示した者には前進あるばかりだ。
 彼の詩は塚田八段の詰将棋のようにあまりに巧妙であるから、才能乏しい詩人は彼を職人というであろうが、まこと彼は大阪のうんだ詩人三好達治と共に職人であるから、神に仕える古代人のようであり、しかもその感覚の新しさは近代以上である。』

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