徳田秋声の随筆集「灰皿」5

4では、徳田秋声と室生犀星との旅話しでしたが、今回は、秋声が読売新聞に掲載した「長篇四五読後感」より横光利一が書いた「家族会議」の感想です。なんだか、秋声氏と言えば自然主義のイメージが強く、新感覚派の著作などは手に取らないような印象がありました。ですが、実際は違い、派に関係なく小説を読み、正しく評価できる方だと判り、逆に秋声氏の懐の広さに感動しました。

以下、『』内の文章は昭和13年(1938年)に砂子屋書房より発行された徳田秋声の随筆集「灰皿」より現代語訳をした上で引用しております。徳田秋声の研究の一助になれば幸いです。

『次に読んだのは、横光氏の「家族会議」である。「家族会議」は必ずしも家族会議ではなく、むしろ東京都大阪の株屋の気質比べ、又は東と西との株屋の意気比べと言ったようなものであり、個人的には親近していて、商売の駆け引きとなると、一歩も仮借しないところの老練で非人間的な大阪の株屋と、何か学校出の近代インテリらしい気取りと尊く観念をもちながら、奔放な才能と、俊敏な手腕をもっているためにか、どうかすると粘りづよい悪党のようにも見える、脂っこい大阪風のその青年手代、それに東京ものらしい見えと潔癖と、若干の用心深さ臆病さ又は慎みをもった東京方の仲買店の若い主人、それに古風なロマンチックの敵味方の恋愛事件と株の闘いとが全篇の興味ぶかい筋立てを成している。ある人は作者が株式のことをよく知らないと言って非難していたようだが、そんな事はこの小説では大した問題ではない。それは船舶会社とか鉱山とかの競争でもいいし、劇界映画界の資本家の争いでも、政党の対立でも介意はない。作者はただ読者の興味を釣るために、もっとも運命の急激な変化を見せるに便利な株式を選んだだけである。株式界の機構や、現代の金融界の内部を剖析しようとしたものではないのである。敵味方の恋愛事件も、既に芝居として仕組まれたに過ぎないもので、ありふれた通俗小説の型だといえば、それまでである。

 しかしこの作品は、かつての「寝園」に比べると、その形態から言っても、材料から言っても驚くべき発展振である。人間では文七の手代の連太郎が一番よくかけているが、他の二人も決して見劣りしない。殊に文七は全面的ではないが、その深刻らしい面臭が、古い名匠の彫刻のように想見される。「寝園」の人間、殊にも女主人の良人が、畢竟何を考えいる人間だか少しもわからないのと違って、性格や気質が、古典的な物語の中に現れて来る人物のように、理想化されて描かれている。それに比べると、女性の描写は漂渺(ひょうびょう)とした神韻はあるが、どこか所々ぼかされている。
 この小説が、息をつく間もなく読めるのは、そこには人間の日常性というものが、一切省みられることなく、恋愛なら恋愛、株なら株の闘争という、白熱的な人間の心情の最も高調に達した場合と場面とがそれから夫へと繋がっていて、芝居でいえば切ったはったの修羅場ばかりを拾っているようなものだからである。これはこの小説の好いところであると同時に感情が徒に高揚されるだけで、読後ひたひたと胸に沁みるもののない理由でもあろう。それにしても是は豪華な歌舞伎劇でも見るような典麗無比な作品である。この世知辛い世のなかに、これは又桃山式とでも言いそうな大まかな構図と絢爛たる色彩との、むしろ驚嘆すべきものである。勿論谷崎氏が日本画とすれば、これは洋画の手法と色彩で行ったものだが、いずれにしても傑作であることに疑いはない。
 序ながら、著付の描写が「寝園」などに比べて、遙かに洗練されて来たことも注目すべきであろう。(昭和十一年「読売新聞」)』

漂渺(ひょうびょう)・・・かすかで、はっきりしない様子。または、果てしなく広々としたさま。

徳田秋声の随筆集「灰皿」6へ続く

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