三好達治が梶井基次郎に捧げた詩集「閒花集」2

「閒花集〔かんかしゅう〕」は、非常に繊細な詩集だと1にて説明をしましたが、現在その閒花集を手に取る事はできなくても、ネット上で見ることができます!国立国会図書館デジタルコレクションへ行き、三好達治で検索をかけましょう。すると、三好氏の著作が並んで出てきます。上から二番目の間花集が閒花集です。恐らく誤って入力をされたのだと思います、題名が違いますが内容は間違いなく、閒花集なのでクリックして中身を覗いてみて下さい!表紙の色や中の紙は三好氏が流した涙が織り込んであるかのように、ひどくもろい印象を受けます。

以下、上記の「閒花集」を現代語訳した上で『』内にて引用しております。三好達治と梶井基次郎の研究の一助になれば幸いです。

『 藤 浪
そこにとまろうとして 花の舞えでひと揺り揺れる 蜜蜂の羽音……
勤勉な昆虫よ 私の半生も どうかお前に学びたい
そうしてやがて 私の日の終焉〔おわり〕にも 私は自分を想いたい
そこに潜りこんで ひと房の藤浪に 隠れてしまうお前のようだと

 桃 花 源
青い山脈
白い家鴨〔あひる〕
貸ボートにペンキが塗られ
綻びそめた桃畑

 畎 畝〔けんぽ〕
家鴨が三羽 畝を越える
土くれをころがしながら
鶺鴒〔せきれい〕が隣りの畑へ
ついと逃げる

 春 日
葱畑の前の床屋
鏡の前の黄水仙
赤い手套が落ちている
路をうつすその鏡に

 庭 前
「何ごとぞ 紅梅を蹴る小鳥あり
思いあがるや 人を怨むや」
「めっそうな とんだこと
知らなかったよ 女流歌人のお宅とは」

 椎の蔭
椎の蔭 苔むした土蔵の屋根に 鶺鴒がきて
なぞへを歩む ステッキを振りながら
右に二歩 左に三歩
落し物を さがしている

 鉄橋の方へ
嘴の黒い家鴨が一羽 静かに水脈〔みを〕をひろげてゆく
うつらうつらと 低い堤を私は歩む
私たちはしばらく 鉄橋の方に向って進む
同じ速度で

 
電柱の頂に 雀が啼いている
つぶらに実った茄子畠 土蔵の壁に
朝日がさして そのまぶしさにしゃがんでいれば
旅にある身が夢のよう たち上るのも惜しくなる

 晩 夏
二枚の羽を一枚に合して
草の葉に憩う 小さな蝶
君の名は蜆蝶〔しじみちょう〕 蜆に似ているから
わが庭の踊子 ゆく夏の裾模様

 
蝉は鳴く 神さまが龍頭〔ねじ〕をお巻きになっただけ
蝉は忙しいのだ 夏が行ってしまわないうちに ぜんまいがすっかりほどけるように
蝉が鳴いている 私はそれを聞きながら つぎつぎに昔のことを思い出す
それもおおからは悲しいこと ああ これではいけない!

 虻〔あぶ〕
詩を書いて世に示す
しかも私は 世評など聞きたくない
この我儘を許し給え 私は虻のように
羽音を残して飛んでゆく

 ある写真に
それは夏の終り 二度目に孵った燕の雛の 軒端に騒がしい頃であった
こうして私たちが この前庭の 樅〔もみ〕の木の下に ひとかたまりに寄り合ったのは……
君は笑っている 君はうつむいている 君は借りもののベレをきている
そうしてあなたは 子供を抱いて 頸をかしげて うら若い母の姿

 新 秋
石には虻 障子には蝶 しばし彼らも休んでいる
薄〔すすき〕の穂波 磁石の針 私の朝の感情も 今ひとつ時揺ぎやむ
それらの上を飛び去って 山の端に入る白い雲
唸りながら 飛びながら 宙にとどまる熊ん蜂

 黄 葉
この清麗な朝の この山峡の空の静けさ もの足りなさ……
なぜだろう 私の耳が私に囁く お前一人がとり残されたと
なぜだろう 橡〔とち〕の黄葉〔もみじ〕の鮮やかさ はや新雪の眩ゆい立山
ああ 彼らは旅立った この峡の燕らは

 空 山
休みなく歌いながら せっかちに枯木の幹をノックする 啄木鳥(きつつき)
お前を見ている私の眼から あやうく涙が落ちそうだ
なぜだろう なぜだろう 何も理由はないようだ
風の声 水の音』

三好達治が梶井基次郎に捧げた詩集「閒花集」3へ続く

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