三好達治が梶井基次郎に捧げた詩集「閒花集」3

2では、「閒花集〔かんかしゅう〕」の初版本がネットで見る事ができる旨を書きました。もう既に検索された方はご存じだと思いますが、表紙の色は綺麗で優しい檸檬色、そして中は繊細な紙が使われ、本全体がまるで梶井基次郎の作品そのもののようです。それでは今回で、このコラムも最後になります!おつき合い下さった皆様方、ありがとうございました!

以下、上記の「閒花集」を現代語訳した上で『』内にて引用しております。三好達治と梶井基次郎の研究の一助になれば幸いです。

『 夜明けのランプ
宿をめぐる小雀〔こがら〕の歌 さあ起きよう
友よ こんどは君の眠る番だ
棚の上に 君のベッドに君を還そう
……夜明けのランプよ

 夜の部屋
夜は初更 ランプは暗い
その足音をきくうちに 私の額にとびのった
曲者!刺客! お前の髭が私を擦る
ああ 冬の夜の伴侶 蟋蟀〔こおろぎ〕よ

 空 林
山毛欅〔ぶた〕のかげ 枯草に彼は臥ている 雲を見ている
彼は私に会釈をする そうして煙管をとり出す
どこの村の男であろう 媒鳥〔おとり〕の鷽〔うそ〕は啼かないで
餌壺の栗をひろっている 籠のあなたの昼の月

 瀧
それの向うの 一つの尾根の高みから 炭焼きの煙が揚る……
耳鳴りほどの谿谷〔たに〕の声 薪を割る杳かな木魂
一羽の鶸〔ひわ〕の飛びすぎる 狭間の奥の絶壁に
五寸ばかりに躍っている 瀧

 一つの風景
ここに私は憩い ここに私はたち上る
「行こう 行かねばならぬ」
それは林である それは朝である
赭土の路が 山の麓を繞〔めぐ〕っている

 
身を以て 虹をかけ
七彩の雉がまいたつ 雪の山から
青空に
頸をのべ

 頬 白〔ホオジロ〕
日が暮れる この岐れ路を 橇〔そり〕は発〔た〕った……
立場の裏に頬白が 啼いている 歌っている
影がます 雲の上に それは啼いている 歌っている
枯木の枝に ああそれは灯っている 一つの歌 一つの生命〔いのち〕

 早 春
──馭者は煙草を喫いながら
旅籠のある丘を降る からの橇馬車
桜の枝に 頬紅さした鷽〔うそ〕の群れ
啾々〔しゅうしゅう〕と 呼びかつ応う……

 雪 景
丘の上に 煤けたからだを干している斑牛〔まだらうし〕
そのうす赤い乳房の下から 谿が見え 町が見える
今橇馬車が橋を渡る……
火ノ見櫓に 風見の矢

 雉
遠い山 平野 脚もとの小さな町 川 橋
まるみある雪の襞〔ひだ〕から 七彩の十字架なして
いまこの眺望を劈〔つんざ〕くもの
沢を渡る 雉!

 千 曲 川
通りがかりの挨拶の 私のまずい口笛に
梢から鷽〔うそ〕が応える あちらを向いたまま
彼の妻がまずにげる やがて彼も繁みに隠れる
遠く 霧の断え間に千曲川

 「檸檬」の著者
谿を隔てた 山の旅籠の私の部屋
その窓の鳥籠に 窓掛けの裾がかかっている
白い障子に影をうつして 女が一人廊下を通る
ああこのような日であった 梶井君 君と田舎で暮したのも

 鞍 部〔あんぶ〕
丘の上に 蜜蜂ほどに呻っている 発電所
その上の 鞍部に一つ小屋が見える
小屋の軒端に人が出る 馬が出る
そこの窪みに 静かに雲が捲いてくる

 訪問者
春はいま 蜜蜂の訪問時間 彼らは代る代る
私の窓に入ってくる そうして一つ一つ 私の持物を点検する
外套 帽子 辞書 麺麭〔パン〕 梨 肉叉〔フォーク〕……
そうして訣〔わか〕れの挨拶に 私の耳を窺〔のぞ〕きにくる

 故郷の街
ああまた 鉄橋を渡る貨物列車 堤の草に山羊が二匹
川蝦〔かわえび〕を釣る子供らは 渚に竿をならべている
その森々たる水の彼方 煤煙深い街の上に いま三日月は落ちかかり
ランプをともす外輪船……

 
夜の園生の 寂寞に鯉が跳ねる
何事か覚束なげに 私の心は歩みをとめる
そうして耳を澄す この平凡な夜の 感慨に
何でもない 私の心よ 行くがいい お前の路を

 後 記
 六月三十日、六蜂書房より梶井基次郎全集下巻を受取る。
夜半「書簡」の処々を拾い読みしているうち、思わず心を動かし、巻を蓋ふて寝に就こうといく度か試みては、また机の前にかえって翻読する。そうして枕に就てからも、耿々〔こうこう〕としてもの思い、遂に眠をなさず天明にいたる。彼と私の交遊は、僅かに数載を越えなかったが、今また事にふれて、まことに思出は縷々〔るる〕として限りがない。ああ、疎慵〔そよう〕にして才薄き私の如きものが、ようやく今日この処まで、たどたどしき道のりを歩み来った過去を顧みるにつけても、彼の友誼により、その策動に扶けられること甚だ少くなかったのを忘れ得ない。この感慨は、何かしら私をして、底薄暗い千仞の谿間をのぞきこむような思いをさせる。またそれらの過去の日は、的磔として氷霰のように、私の眼前にある。
 七月一日、たまたまこの小詩集を編んで校を終った。野草閒花、摘んで以て彼が墓前に供うと云爾。

 信州上林の客舎に於て
          三 好 達 治』

鞍部〔あんぶ〕・・・山の尾根が中くぼみになった場所。

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