室生犀星が語る芥川龍之介3

今回は、芥川龍之介が喋るときの定形文句や、木登りが上手であったエピソードが語られています。また、芥川氏の原稿がどんなものであったかなどが書かれており、実際に手に取らなくても目に浮かんでくるようです。他には、芥川龍之介が意外な食べ物が好きだったことが語られており、新しい発見の多い内容となっています。

以下、『』内の文章は三笠書房より昭和10年に出版された「犀星随筆集」の「憶(おもう)芥川龍之介君」から現代語訳した上で引用しております。芥川龍之介と室生犀星の研究の一助になれば幸いです。

『芭蕉も思い付きで作った句が相当にあると私がいうと、いや、そんなことはない絶対にないと憤然として食って懸った。写生の句なんかすらっと詠んでいるじゃないかと言うと、いや何度も置き換えていると言って、例句を引用して却々(なかなか)聞かなかった。

 芥川君はよく一緒に「中央公論」などに書く場合に、今月は君と合乗りだよと言っていた。合乗りとは面白い言葉だと思うた。そして僕の方が何時も先に書き、芥川君はずっと遅れていて、瀧田樗蔭(たきたちょいん)氏は昨日三枚きょうは午前中に三枚は出来る筈ですと、そういう長い時間のかかるのを楽しそうに言った。
 瀧田樗蔭氏はよく芥川君とかけ持ちで、私の家に見えられたが、いま芥川さんの所に寄ると四月号ならちゃんと取って置きの材料があると言われていたが、芥川さんらしいですねと瀧田氏は嬉しそうに話していた。瀧田氏は芥川君の話をするときは、何時もほくほくと嬉しそうであった。ああいう機嫌の好い時に嬉しそうにする人を、今まで見たことがなかった。「芥川さんの原稿は手垢でよごれているんですよ。ところどころ継ぎ張りがしてあってね。」こういう瀧田氏は甚だ機嫌美(うる)わしかった。
 芥川君は平常喋る言葉に大体の用語が定っていた。彼はお辞儀するときとか、会った最初には決ってやあといっていた。「ありゃ君とても敵わん。」とか、「内田百閒の話を聞いていると変になるよ。」とか、「あれは傑作だね。」とか、「僕は大いに同情した。」とか、「ちょっと美人だね。」とか、「ありゃ豪傑だよ。」とか、「怖かったなあ実際」とか、──

 軽井沢で同じ旅館にいたとき離れの部屋の前に、大きな楓の木があった。それを登ると松村みね子さんのお部屋が見えるという話が出て、芥川君は登ろうかと言って早や脚をかけようとしていた。私はのぼれ、のぼれと囃しかけると、君、登れるかと言ったから、登れないというと、よし登って遣ろうと脚の長い男だけにするすると登って行った。悪い時は悪いもので、松村みね子さんが廊下へ突然出て来て、ちょいと驚いたふうで見て居た。かれは下りると失敗った見られたと言っていた。
 この間奥さんがお見えになり、家で湯の立たない日だったので私は銭湯に出かけて行ったが、芥川君が銭湯の話をした事がなかったので、帰って女房と話をしている奥さんに尋ねて聞いてみると、銭湯が嫌いで行ったことがなさそうである。鵠沼で一ト月お湯にはいらないことがあったそうだった。軽井沢で一所に湯に入ると、毛深くて僕より肥っていた。「ああ快い気持ちだ、風呂桶に犀星のいる夜寒かなはどうじゃ。」と彼は夜の明けたようにさっぱりした顔付でいった。彼はいつもオムレツを一皿とお椀のおつゆで膳に向っていたが、私は鮎や肉を彼の二倍くらい食べていた。「ああ、よく食う男だ」と彼はいい、僕は「何という少食の男だろう。」と感嘆して言った。それほど彼は少量しか食わず、所きらわずに足を捲くって見せ、痩せたお腹を出して見せたりした。彼の胃袋がいつも胸のところに下がっているような気がした。
 何時か夜中に芥川君の近隣に出火があって、出かけて見舞いに寄ると、芥川君は玄関に仁王立ちになり、少し胸をはだけて見舞客に一々長い髪を掻き上げ掻き上げ、重畳に挨拶を交わしていた。背丈が高いので玄関一杯に広がっている格好は、非常に頼もしい主人振りであった。火事はもう済んだよ、ちょっと上がって行ってくれ、ちょっとでいいからと言い、私は夜半の書斎にはいって行った。あの晩ほど芥川龍之介を頼もしい男だと思ったことがなかった。もひとつは、震災当日午後四時頃、彼は反り返って背後に渡邊庫輔君を随えて、悠々然として僕のところに見舞いに来た。僕も今夜から自警団に出なければならんよ、火事は全市に起っているらしいと言って戻って行った彼はその時分それほど元気だった。
 僕が或る夏軽井沢に行くというと、芭蕉のことはおれが見てやるといい、留守宅に行って二三本の乏しい芭蕉の成長を見とどけた上、手紙に「芭蕉蒼然たり、幸に安心これあるべし」と書いて知らしてくれた。』

室生犀星が語る芥川龍之介4へ続く

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