萩原朔太郎の人物印象記ー堀辰雄編

昭和15年に河出書房より出版された萩原朔太郎の「阿帯」なる随筆集には、「四季同人印象記」と題して、三好達治、堀辰雄、丸山薫、辻野久憲、竹村俊郎の印象が記されています。ここでは、三好達治及び堀辰雄、この二人に対する印象記を現代語訳した上、下記の『』内に引用しております。内容としては、萩原朔太郎は堀辰雄という人物を、中野重治に室生犀星を絡めて表現しています。萩原朔太郎と堀辰雄の研究の一助になれば幸いです。

『   堀辰雄
 堀君と初めて知ったのは、驢馬の会の時であった。驢馬の会というのは、当時室生犀星君を中心として、数名の青年が集合していた雑誌「驢馬」の同人会のことであった。その会の席上で特に二人の青年だけが、僕の眼に印象強く映じられた。一人の青年は、非常に情熱的の顔をして、いつも肩を怒らしながら、人生への戦いを挑んでるように見えた。他の一人は反対に、女のように優しく、どこか発育不全の坊ちゃんのようで、内気にはにかみながら物を言ってるような男であった。そして二人共、一見してそのインテリ的神経質や聡明性やが、他に群をぬいて解るような男であった。その一人が即ち中野重治君であり、他の一人が即ち堀辰雄君であった。室生君は後で僕に言った。「どうだ。二人共好い青年だろう。驢馬の誇りだよ。」と。
 堀辰雄という男は、不思議に一種の雰囲気をもった男である。彼の側で話しをしていると、いつも何かの草花や乾麦のような匂いがする。彼が香水をつけているのではない。人物の性格から来る匂いなのだ。数人の人が集まっても、彼が一人座に居るだけで、特殊の集会的アトモスフィアが構成される。彼はいつでも中心人物である。そのくせ何もしゃべるのではない。いつも座の片隅に座って、ニヤニヤ笑いながら人の話を聞いているだけだ。それで中心人物になるのだから、これは人徳の致すところと見る外はない。単に座談の集合ばかりでなく、同人雑誌の集合などでも、彼はまた奇態にに編集の中枢人物になるのである。現にこの「四季」などもそうであるが、彼が中心部にいて編集すると、不思議に顔ぶれの揃った好い雑誌ができるのである。それは単に彼が友人運にめぐまれているというだけではなく、やはり他を惹きつける人徳の牽引力があるからだろう。

 彼は非常に聡明な男である。頭脳の明晰ということと物解りの好いということでは、「四季」同人中でも彼に及ぶものはなかろう。彼は一切議論をしないが、彼の前では、実際議論する必要がないという感じがする。それほどよく解ってくれているからである。しかしこの聡明さが、文学上では却って彼を害毒し、作品を臆病なものにしてしまっている。も少し彼が馬鹿であって、我武者羅に強く物を言ってくれたら好いと思う。
 堀君は生粋の江戸ッ子であり、典型的の都会人である。そして此処に、彼のあらゆる洗練された趣味が出発している。彼には野性人のラフな属性が殆どない。そしてこれがまた文学上の欠点でもあり、またそのリファインされた文学の特色でもある。彼の文学は、丁度彼の人物と同じように、体臭からくる香水(乾麦や高原植物)の匂いを感じさせる。それが好きな読者にとっては、一寸たまらない魅力だろう。
 人間の中ニハ、時々灼きつくような烈しい友情を感じさせるものと、仄かになつかしく、心の隅に思い浮かべるような、静かな友愛を感じさせるものと、二通りの型の人間がある。室生犀星君「やちまたに酒をあふりて道すがら中野重治を思はざらめや」と歌ったのは、中野君がこの前者の型の人間であることを表象している。これに反して堀君は、秋の空に散らばる雲でも見ながら、時々なつかしく思い出すような友情的存在である。僕は時々、どこかの高原地方の侘しいホテルで、堀君と二人、ベランダの籐椅子に座ってる夢を見ることがある。それが醒めてから、何というわけもなく、非常に悲しい気分になる。精神分析学者に判断させたら、どういう夢占になるのか知らない。』

リファイン・・・優雅、洗練、精製の意味。

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